メディアと書き手

「全世界でたった3人のためのblog」を標榜する僕のサイトでも更新を楽しみにしてくれている人はいるらしく、「気になって一時停止見落としちまったじゃねーか」とお叱りまでもらい、嬉しくなっちゃってる僕ですが。
↓こういうのを見ると、なんかねえ、こぉねえ。
  僕のこの程度でイイ気になってちゃかんなーっって思うですよ。

ぬる風呂:連作小説(1)『ソフトウェア』
夢をみた。
俺は空から見えない糸で吊るされて、世界中を眼下に見下ろしながらぐるぐると旋回していた。
そのとき、お前が見えた。


kobaは僕をblogに誘ってくれた友人なんだけど、僕はいい友達を持ってるね。
小説のできは、まだわからない。こういうのは物語が終わって初めて評価すべきものだから。
……ああーいやでも、アペリチフで、これから出てくるメインディッシュを予感することはできるし、ワインがとにかく素晴らしいと言ったって認められるんだから、コレを イイ! って言っちゃったっていいか。
 イイ!良いぞ!!ヤッホゥ!
心がざわざわしてくる。ってすでに他の人に感想を書かれてしまったけれど、僕もなんだか、いても立ってもいられない。
僕にとっては「エロ風呂」ができた時よりもずっとスキャンダラスなできごとに思える。
僕も何かしなくっちゃ、何かを証明しなくっちゃ、何か真剣に対峙しなくっちゃ、と思わせる。
断崖絶壁から下を覗き込んでいるように、身がすくむけれど目をそらしてはいけないような気分にさせる。
僕は自分を試さなくてはならない。
自分の価値を示さなくてはならない。
kobaは自分の価値を示したのだから。
何よりすごいのは、このエントリが、彼の心の切り売りには見えないことだ。
この小説はずいぶんウェットだけれども、この小説をblogに載せる行為がとてもドライだ。
kobaはメディアの向こうの読者に媚びてもいないし、怖れてもいない。
自意識過剰にもならず、卑下もしていない。
メディアの向こうにどんなたくさんの人たちが待ち受けているか知っているのに、そんなものを気にもしないで自分の求める表現をする。
僕はblogというメディアと、その向こうに繋がる大海を想像して立ちすくむことがある。
僕はblogという卑小な形式のツールが大海原にそのまま繋がっている様子に目が眩む。
「こんなことは読者が喜ぶだろうか」「こんな書き方じゃ僕はつまらない」「僕の記事は誰かの気に触るだろう」「こんな仲間受けの記事は誰のために書いているんだろうか」
僕は自分の書きたいものとメディアとの間で揺れ動き、エントリする数は減っていく。
僕は自分が書きたいものさえ良くわからなくなっていく。
なんだか、俺もやんなくっちゃ、と身が締まる思いでこの小説を読んだ。
僕は直角にしか見えないコブだらけの急斜面を前にしたスキーヤーみたいに、ドキドキしている。

3 thoughts on “メディアと書き手

  1. ひとつのエントリーに対し、こんなに反応を引き出すとは。しかも知り合いから……。ブログ、恐るべし。そして、なんだかよく整理がついていないが、ありがとう。
    一方、急にそんなこと言われても……というところはあるので戸惑うけれど、とりあえず近況でも。
    最近は自慰のし過ぎで、性欲がなくなってしまったよ。そんなことってあるのかな。本末転倒だよね。

  2. ああ、ごめん。友の真摯なエントリーなのに、朝に読み返したら、なんかくだらないことを書いた気分だ。↑

  3. ↑いやぁ。まあ、いいんじゃない?
    漏れにしたって「結婚するまで仮性包茎だった」とか返そうと思ってたトコだったから。
    私は誰の挑戦でも受ける。

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