バイクのロマン

僕はとうにロマンなんて失ってしまった。
僕にとってバイクは、甘美な呪いだ。

奥山貴宏 「32歳ガン漂流 エヴォリューション」 adrift:■個人的モーターサイクル・クロニクル 上

バイクへの反抗イメージの投影やロマンを求めるようなことはほとんど無くなって、ひたすら便利さと快適さを追求した。

バイクに乗る意味は何かと考えるということは……


つまり、生きる意味を考えると言うことだ。
そのためにはバイクとは何か、自分はバイクをどう捉えているか、あるいはバイクにどう騙されているか、を語らなくちゃいけない。
僕にとってバイクは快適じゃあない。快適を追求するならグリーン車に乗ればいいし、思った時間に玄関横付けで移動したいなら運転手つきのロールスロイスがいいだろう。
でも、いくらお金があったとしても(もちろん、現実はお金なんか無くって)バイクでなくちゃダメなんだ。
バイクに乗ること、バイクに乗ることをあえて選ぶこと、あえて選ぶ自分について考えることは、自分自身への理解だろうし、自分が人生をどう捉えているかの確認だ。
僕は「バイクに乗る時間」を単位にして人生を考え直した。

3 thoughts on “バイクのロマン

  1. あ、どーもー。コメントありがとう。
    「あなたが落としたのはこの金のロールスロイスですか??それとも…」と池の精に訊ねられたらやっぱり「いいえ、僕が落っことしたのはその国産のバイクです…ぐわぁエンジン浸水ぢゃないっすか!」と叫ぶでしょう。
    もしショーファーつきのロールスロイスを持つ身分になっても(その可能性は無限大に小さいですが)ガレージにはバイクが並んでいるでしょう。

  2. ロールスロイスをガレージに並べられる身分になったら
    俺だったら、F104とかF86とかを格納庫に並べたいなぁ。

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