これはちょっと考えるべき問題だと思うなぁ。
僕は物語に起承転結なんていらないと思うし、謎解きなんて唾棄すべきと思ってるから、主人公がどんな言葉を使おうと、どんな間違ったことを言おうとやろうと、それはそれで良いと思う。
登場人物が知っている以上のことを物語の中で語る必要性はまったく認めない。物語の登場人物が古代のイヌイットならば、彼の語る世界は氷原だけで十分だ。
確かに芸夢堂 堂守の言い分は「一般的な読者」としての見方(の極端な部分)ではあると思う。
ぬる風呂:連作小説(1)『ソフトウェア』
★言葉について
その個人の言語体系については、一貫して整合性がとれている人や私のように破綻していて統一ルールのない人間もいる…
…気まぐれで、いろんなバックグラウンドをもつ登場人物たちをコントロールすることが無意味
(kobaコメント)
kobaは「作者(作家)としての技術を磨くべきだ」と考えて彼の言い分を認めたけれど、僕にとっては正しい言葉を使う努力は瑣末な拘り…という言葉が相応しくないとすれば二義的なことのように思う。そりゃ確かに正しい日本語と正確な表現で、物語が正しく語られているならそれに越したことは無い。しかし、僕にとっての<正しい物語>は、正しい日本語で語られているかどうかは関係が無い。
それよりも、もう少し考えてみるべきなのは……