情報リテラシーについて -承前-

情報リテラシーってのはたった今僕が考え付いた言葉。
情報とリテラシーをくっつけるのはダサいけど、今、あわててエントリーしているので当面の造語として提示する。
なんで情報リテラシーかっていうと、通常言われている読み書き能力がリテラシーなんだが、読み書きもでき、情報の収集をすることができても、その情報に対してどんな評価をするかとか、どんなふうに扱うかってことが十分でないことは実にありふれた現象だから、そうした情報を扱う能力を「情報リテラシー」と呼ぶことにしてみた。もっとカッコイイ言葉があれば乗り換える。
情報という言葉があいまいでイメージしにくいかもしれない。その時は「ニュースリテラシー」とでも読み替えてもらえればわかりやすいかもしれない。
さて、「TVや新聞のいうことなんか信じるな」ってのは僕が3つの時から言ってたことなんで、もう40年も言い続けてきたわけだが、最近になってやっと世間の皆様も気づいてきた。僕の40年間の活動がこのように実を結びつつあり嬉しく思っている。
さらに、ここ数週間でさらに僕の情報に対する考えに新たな見識を追加するいろんな出来事があった。
…うわあ、なんだか悪文だなあ。まあいい。とにかくメモ。
まずココ嫁。

QuadraFace Lounge: 2005/2/22 「あいつのことは信じるな」
つまりおれが言いたいのは、「一次資料(≒目の前の事実)以外を信じるな。たとえ権威あるものから得られた情報でも決して鵜呑みにすることなく、一次資料に当たれないならその情報は吟味されなくてはならない。布教者たちは誰もが偉い。そして、緒川たまきに『ウソツキ』と言われても、ひるむな」ということ。

まず重要なのは緒川たまきにウソツキと言われるシチュエーションが必要だということだ。
……


ほんで、コメント欄で彼はこういう。

Francois Quevouxquien
つまり報道記者というのも必要だと思います。政治腐敗あるいは例えばコクド問題などのようなものは、彼らの活動によってしか伝えられ得ない質のものです。信念=イデオロギーに基づく彼らの活動に含まれる主義主張を彼らが発信する情報から切り離す手段については、第二次大戦の大本営発表時代からこちら、おれたちは既に学んでいるはずですし、ジャーナリズムのイデオロギーは自明のこととして、こちらが常に意識しておけばいい。

僕は
「メディアのことは信じるな。テレビも新聞も自分たちに都合のいいコトを言ってるだけだ。信じられるのはお笑いだけだ。だからほりえもんが言ってるように情報を収集することだけにジャーナリズムは励んでくれりゃいいのだ。後の評価はこっちがするからよ」
と言っていたんですが、それはもっと吟味しなくちゃいけない。
情報を収集するにはコストが必要ですが、そのコストの担保をどこからするのか。
新聞やテレビは視聴率(=スポンサー)や販売部数によってコストの担保をするわけです。だから視聴率に結びつかない=お金にならない情報の提供はしない。そこで情報の選択が歪められると僕は言っていた。
けれど、お金を持ってるから、逆にお金にならない情報収集もできるわけですよ。
もしかしたら北海道警察の裏金疑惑も、根性入ったジャーナリストが手に入れた記事な訳だ。

ガ島通信:追求・北海道警「裏金」疑惑
警察と一戦を構えるというのは、非常な困難を伴います。特に地方紙は長い間、その地元の警察とある種の「信頼関係」を築いた上で取材を行っています。
(略)
それを、ご破算にして警察という巨大な組織の不正に挑むのは相当な思い切りが必要です。社内外からの妨害、説得もあるでしょう(警察とうまくやってきた人が社内に多ければ、一層取材が難しくなる)。それらの困難を乗り越えて、取材を続けている取材班には敬意を表します。

「根性入った」と前述したけど、根性ってイコール イデオロギーじゃね?
こんな記事を、時には会社の不利益になるかもしれないことを扱うには、コストの面から見るとまずいんじゃない?
市場原理で言えば、こうした記事を配信することで信用が上がり、購読者が増えるから企業としてはいいんだ、という見方もあるんでしょうし、反対に警察取材の協力を得られなくなって警察発表の情報が取れなくなり、他社よりも事件記事が出遅れてしまう、ということもあるでしょうし、こうした記事にかけるコストが高くなりすぎてペイしないということもあるかもしれません。
つまり、メディアの経済性について考えなくちゃいけないけど、それはイデオロギーと切り離せない問題なのかもしれない。
そうすると僕らはますます多角的な視点が必要になるわけだけど、おお、見よ、何にコストがかかるかって言えば、教育・啓蒙に一番金がかかんだよオマイラ。
さらに重ねてQuadraFace Loungeで彼はこう言う。

Francois Quevouxquien
■nomadさん
(略)
……しっかりしてください(笑)。

これは失礼な。僕はしっかりなんかできるわけないじゃないですか。人を見て言ってもらいたいっ。
ほんで、ここで話は飛びますが、これは備忘録でありメモなので。
QuadraFace Loungeを良くみてみ。
メインページ左、コメント一覧嫁。

Recent comments
本文より内容が濃いことも。

これだよ。
いいか、blogっつうのは、コメントも含めてコンテンツなんだよ!
トラックバック含めて情報なんだよ!
blogっつうのは逐次入力されたネットワークに広がるデータベースなんだよ!
ノイズがあったとしても、ノイズ含めての情報なんだよ!そのノイズの中から何を得るのかがリテラシーっつうもんなんだよ!
コメント欄閉じるだの匿名じゃ受け付けないだの、バカげてるんだよ!チラシの裏にでも書いてろってこった。なあ、小倉!

5 thoughts on “情報リテラシーについて -承前-

  1. 「情報リテラシー」って、わかりやすい感じでいいですね♪
    「メディアリテラシー」も、かなり意味が重なる部分があるかもしれません。
    大事なことですよねー。

  2. □なるほど、コスト論にまでは思いが至ってませんでした。「ガ島通信」にあるような、リスクという側面については考えていたのですけれども。ふむふむと頷きながら、膝を打っています。
    しかし、nomadさんは本当に失礼な方だ。おれが緒川たまきに「ウソツキ」と言われないわけが無いじゃありませんか。毎週水曜日の21:00には、TVの前で正座してるんですからっ。

  3. メディアリテラシーって、情報源が外部にある状態で、そこから得る情報をどのように扱うか、っていうんだと思うんですよね。
    でも僕が考えているのはblogみたいに、相互に連携しあうネットワーク上のデータベースっつうか、今時のハヤリで言うところのグリッドコンピューティングっつうか、そういうのが念頭にあるんですよ。
    その中にいる人たちにとっての情報っていうのは外部ではなく、内部でもなく、分離できない自分たちの構成要素なんですわ。
    それを表現したくて情報リテラシーなんて書きました。
    が、ダサいです。情報とリテラシーには部分的に重複した意味を含んでいますので。もっとかっちょいい言葉を探してますが、とりあえず。
    コメントスクラムよりもマシと思いますが。
    ただ、「コメントスクラまれる」は僕が考えましたが、これはけっこう気に入っています。

  4. 某三○住○海○火○保険会社に
    「IT推進部情報リテラシーグループ」
    てーのがありますねぇ.
    ソコはウイルスが怖いので
    インターネットの接続を許可してないんですけどね.

  5. Francois Quevouxquienさん、いらっしゃい。
    参考にさせていただきました。
    ありがとうございます。
    こうやって参考にさせていただき、僕からも何かお送りできてうれしいです。これがblogっつうもんですよ。
    (冗談がわかる人でヨカタ。最近冗談わかんない人ばかり見てましたのでちょっと心配でした。心配しすぎですが)
    AS ISさん、毎度!
    そう、そういう「情報リテラシーグループ」ってのが曲者ですわ。ウィルスが怖くて接続せんですか。
    怒られるの怖くて電話に出んですか。
    殴られるの怖くて人に会わんですか。
    バカですかね、そんなリテラシーなんつうのは。
    僕らは世間とうまいこと向き合うためにリテラシーを身につけるっていうのにね。

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