中田英寿の引退

タイトルに反して高橋竹山の話をしよう。
津軽三味線を日本中に紹介したとも言える、戦後民謡界の巨匠。盲目のミュージシャンの高橋竹山だ。
竹山は、有名になった後も、呼ばれればどこへでも出かけて行き、どんなステージでも演奏した。
ググってみると、なんときっこの日記に紹介があった。

さるさる日記 – きっこの音楽日記 ■2003/11/28 (金) 高橋竹山 ⑤
竹山の最後のステージは、1997年(平成9年)12月21日、夜越山温泉の大宴会場でした。
喉頭ガンで入退院を繰り返していた竹山は、すでに末期の状態で、前日にも血を吐き、もうしゃべることもできず、足もおぼつきませんでした。孫娘の哲子に支えられて会場入りし、何とか三味線を弾き始めますが、竹山には、もう三味線を抱える力も残っていませんでした。哲子が三味線の胴の部分を支え、そして演奏は続いて行きますが、それは、とても人に聴かせられるようなものではありませんでした。
この年、竹山は数回の演奏会を行なっていますが、衰弱しきった体で弾く、全盛期には遠くおよばない頼り無い演奏に、周りからは、「もう見ていられないので演奏は止めて欲しい」と言う声が出ていました。それでも竹山は演奏し続け、この日もステージに上がったのです。
そして、翌1998年2月8日、竹山は、87年の生涯を静かに閉じました。

僕はこのビデオを見たことがある。(僕の記憶では商店街のステージだったが、どうやら僕の勘違いらしい)
宴会場で撮影されたビデオは家庭用のハンディカムだ。酔っ払いばかりの宴会場で、ヨレヨレのグダグダの演奏をする高橋竹山。誰も真剣にその演奏に耳を傾けていないステージで演奏する竹山は…老醜というに相応しい。
みっともないからやめてくれ、見ていられないからやめてくれ、という周囲の声があったのもわかる。
僕が初めて竹山のLPレコードに針を落とした時に響き渡った、あの張り詰めた音、腹を揺する衝撃からは、まったくかけ離れた音だった。
しかし、その老醜をさらす風景は、僕には決して忘れられないものだ。
これこそが三味線を生きるということだ。人生と三味線とが分かちがたく結びついた者の、本当の最後の風景だ。
竹山は、自分の演奏が往年の演奏には遠く及ばないことを知っていた。全盛期の自身のテクニックと演奏には自負があったはずだ。
しかし、竹山は三味線自身なのだ。
三味線自身がどんなに皮がやぶれ糸が切れようと、鳴るしか能が無いのである。
他にどうしようもないのならば、どんな三味であろうと鳴る以外ないのだ。
僕は三浦カズを思う。
「往年の」つきの名選手。
日本代表に選ばれなかったとき、「じゃあ2010年に」と言った男。
僕は、三浦知良のことをバカだと思っていてちっとも好きじゃなかったけれど、今はカズの方がずっとかっこいいと思う。
中田は自分の理想を持っているんだろう。
その理想から外れることが、どんな場面であれ許せないのだ。中田は、マスコミが無責任に知識も無く彼を評した時に強い忌避をした。本当の自分を知って欲しいと思っているのだろう。
彼は自分自身を常に自分のコントロール下においておきたいのだ。
しかし残念ながら、世の中のほとんど全て、人生のほとんど全ては自分のコントロール下には無い。
それは必然だ。自分自身でさえ。
もともとコントロールできないものを何故彼はコントロールしようとするんだろう。サッカーだからか?
ゴールキーパーの手の中にあるボールを奪いに行く必要はないだろうに。
中田が自分の全てをコントロールしようとするそのことに、僕は溜息をつく。
そのプライド、その行為は、有効な行動なのか?
まさしく無意味なパフォーマンスでしかなくなってしまうのではないのか。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあろうに、と思うのである。

2 thoughts on “中田英寿の引退

  1. よく言われることだけど、ナカタに関しては、やっぱりイチローとの違い、ってことを考えます。
    http://hochi.yomiuri.co.jp/feature/sports/nakata/news/20060625-OHT1T00015.htm
    プライドも、自己コントロールも、イチローと共通の属性だけど、nomadさんの言うとおり、自分のはからいが及ばないところまで「コントロール」しようとして、それで自縄自縛になってしまうというのが、イチローとは違う、ナカタの弱点だったかな、という感じがします。
    イチローは基本的には、野球以外のことに色気を示してはいないみたいだけど、このことって、何か関係あるのか知らん。

  2. なんなんですかねえ、僕は言いなりに流される、というのも人生の選択方法の一つだと思うのですよ。
    今月末に、昇段審査があるんですけど、23日にやるか30日にやるかでちょっと予定が動揺したんですよ。先輩に「いつならいい?」って都合を聞かれたんだけど、僕の方はいつだっていいんですよね。
    いつだって、誰とだって。
    合気道の技を行なうとき、うまくいったにしても行かなかったにしても、それはその時の自分じゃないですか。
    ヘタはヘタなりの自分。
    黒帯なんてのは象徴に過ぎないです。うまいとかヘタとか強いとか弱いとかは、自分が納得すればいいことです。
    (黒帯はかっこいいですけど!)
    合気道の技が必要になるとき、って、「いつ」とか「誰と」とか、えり好みなんかできないでしょ。
    その時に、できることをする。
    僕はそういう生き方を選びたいですねえ。

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