怖い話

先日、帰省した時に、従姉妹のMちゃんと会って話をした。
僕の実家はMちゃんにとって本屋(本家)にあたるだけでなく、ウチの親父がMちゃんのご主人にたびたび面倒を見てもらっていて、何かの時にはいつもウチに寄るのだ。
僕らは子供の頃、兄弟のように育ったので、すっかり大人になってお互いに家庭を持っている今でも子供時代と同じように話をする。
傍目にはオッサンとオバサンなんだろうけど、喋ってる言葉遣いは子供の頃のまんまだ。
「ちょっと相談なんだけどさ」とMちゃんは話し始めた。
「妹のLがねえ、『見える』って言って数珠みたいのに凝りだしちゃって」
Mちゃんは「幽霊」のポーズをしながら話し始めた。
「前から不安定なところがあった子だったけど、Lの子供まで『見える』って言い出してさあ。心配なんだよねー、いるとかいないとかそういうのは私はわからんけど」
Lのことはもちろん良く知っている。
田舎の物見(占い)のお婆さんに「この子は素質がある」と言われたこともあったと聞いた。
Mちゃんは心配そうに続けた。
「…nomadちゃんさあ、前に『見える』って言ってたじゃん、実際そういうのどうなの?」
ぼくはギクリとしてMちゃんの顔を見た。
「そうだっけ? 僕そんなこと言ったっけ?」
Mちゃんはきょとんとして僕に言った。
「言ってたよう。『見える』って」
僕は一瞬黙り込み、ちょっと考えてから、ゆっくり話し始めた。
「いやー、そんなこと言ったっけ? 僕はそんなの見えたこと無いよ。うん。
それにさ、そんなの見えようと見えまいと、人生の中でどうだっていいことだって。そんなもんが見えるとか見えないとか関係なく、人生にはもっと大切なことって一杯あるわけじゃん。きちんと働くとか、メシを食うとか、家族と楽しく過ごすとかさ」
Mちゃんは真剣に僕の話を聞いてくれた。
「そういう大切なことが第一に優先することでさ、そんなもん気にしてちゃいかんて。生活よりも優先するようになっちゃオシマイだよ。
Lに何て言っていいか僕もわからんけどさ、そんなの、子供だってホントに見えてるとは思わないな。お母さんが見えるって言ってるから、子供が同調してるだけだよ。子供っておとぎ話の中に生きてるから。僕も子供の頃そうだったし
まあ、僕が思うに、無闇に否定したらきっと頑なになっちゃうだろうからさ。L、頑固だし。 ただ、同調しないでそれとなく興味ないってふうにすればいいんじゃない? そんなのよりも生活をちゃんとすることに話題を持ってったほうがいいような気がするなー」
Mちゃんは安心したようだった。
「そうだよねえ、生活の方が大事だよねえ。そうかー」
Mちゃんは納得してくれたみたいだった。
誰だって自分に理解できないものがあったら、不安に感じる。
不安は判断の誤りをひきおこす。
Lが情緒不安定なのは昔からだし、Mちゃんがそれに影響を受けたって何もいいことなんかない。
見えようが見えまいが、そんなの関係ないんだ。そんなことよりもずっと生活っていうのは大切だ。
社会人なら、働いていく上で多かれ少なかれ目をつぶることはあるものだ。
目をつぶるその一つに幽霊だかなんだか、「見える」ってことを加えるだけに過ぎない。生きていく上には何の関係もないんだから。
僕はちゃんとMちゃんの相談相手になれたことにほっとした。


僕は支障なくやってきた。
生活が一番大事なことだ。
僕の生活の上で見えるとか見えないとか、そんなことを気にしたことはない。そんなことを考えるのもばかばかしいことだ。
電車に乗る。会社に行く。仕事をする。電車に乗る。家に帰る。
これが生活だ。
僕の生活には何の支障も無い。
通勤ルートだって特別なことはしない。
いくつかある通勤ルートの選択肢の中から、きちんと会社につくルートを選べばいいだけのことだ。
通勤費を申請するときに気をつければいいだけだ。
通勤ルートだって時間帯に応じて最短時間っていうのは変わるのだから、その中から都合の良いルートを選べばいい。
最近、総務から「最短時間ではなく、最も安いルートで」と指定されてしまい、少々持ち出しをすることになってしまったが。まあそんなのは大した問題じゃない。
ある日のこと。
僕は社外研修に出席した。
研修と言っても社外のビジネスパートナーとのディベートだとかプレゼンだとかのけっこうハードなヤツで、その中でもうまく纏められた僕は開放感から、研修の後の交流会(と言う名の飲み会)でいつもよりも多めに飲んでしまった。
正直言えば評価結果が良かったことにおだてられたのだ。気をよくして強いカクテルを飲みすぎてしまった僕は、交流会が解散した後は、足取りが乱れるということはないまでも、だいぶ酔っていたと思う。
終電近い電車は空いていた。通勤ルートの沿線だから、乗換駅までは座っていける。
僕は座席に乗り込むとうっかり寝てしまった。
僕は普段電車の中で寝たことはない。
どこか緊張しているんだろうと思う。
しかしその日は寝てしまった。電車が発車するまでに時間があいていたせいで油断したんだろうと思う。
気が付くと乗換駅は過ぎてしまっていた。
いや、乗り過ごしたのに気づいて目が覚めたのではなかった。
気分が悪くなって目が覚めたのだ。
わかってはいたが、気分が悪いのは飲みすぎのせいじゃなかった。
目が覚めると、車内の気温はおそろしく下がっていた。吐く息が白くなった。
車内の蛍光灯は今にも消えそうなほど薄暗くなっている。
他の乗客はほとんど乗っておらず、電車だけがガタンガタンと規則的な音を立てて走っていた。
僕はそれだけを確認すると、もう一度目を閉じようとした。
次の駅で降りよう。降りて近くのファミレスかマンガ喫茶に入ればいい。
そう思った矢先、視界の隅で、男が誰かに話しかけている様子が見えた。
僕の斜め前に座った男が女の人に話しかけていた。
ばかじゃないのか。
僕は無性に腹立たしかった。
ちくしょう、暢気なヤツだ。そう、お前らには何にも関係ないからな。
どうやら酔った男が女の人に説教をしているようだ。
くだらないヤツだ。
しかし、そう、「社会では目をつぶる」ってことを僕はちゃんと知っている。
僕はもう一度寝ているふりを決め込むことにした。
次の駅までだ。次の駅に降りればこんなことはお終いだ。
急行電車の駅の間隔は長く、一向に次の駅に着く様子は見えなかった。
ところが男の声がだんだん大きくなる。
「お前のような女を見てると…」
「お前がいる場所じゃない…」
「どういうつもりだ…」
女の人が小さくあがらう声も聞こえる。
うんざりした僕は顔を上げた。
男から逃げるためか、入り口近くに女の人は移動していた。その隣に、やつれた顔をした中年の男が立ち、女の人を問い詰めている。
相変わらず車内は薄暗く、女の人の表情は見えない。
男が業を煮やしたように女の人の手首をつかもうとした時、僕は声をかけた。
「おい、いいかげんにしろよ」
声をかけると同時に彼らは振り向いた。
女はこちらを見ると同時に金切り声の悲鳴をあげた。
その悲鳴は電車の騒音よりもはるかに大きく…
女は断末魔の悲鳴を上げたのだ。
女の首がごとりと音を立てて落ち、腹からは血飛沫が飛び、内臓をまきちらした。
転がり落ちた首はごろごろとこちらに転がってきて、潰れた鼻と真っ赤な洞穴になった口を大きく開け、もう一度大きな悲鳴を上げた。
無数の白い手や輪郭のはっきりしない顔が窓の外からこちらを覗き込んでいるのが見えた。
で、どうしたって?
どうもしない。
僕は次の駅で降り、近くの24時間営業のファミレスで一夜を過ごした。
駅に降りるまで、やつれた男に「見えるのか?」としつこく聞かれたけれども。
見えるわけがない。
僕はそんなものは見たことがない。
次の日、欠勤した僕は上司に嫌味を言われた。
社会で生活するっていうのは、いろいろ苦労がある。それだけだ。

4 thoughts on “怖い話

  1. ああ、禅的な処し方ですね。
    それは、一つの道行きとして健全だし、アリなんだろうなと私も思います。
    唐代の禅僧の語録を読んでいると、よく様々な問答を仕掛けてくる雲水に対して、禅師が「是什麼!(何だ!)」と反問する。この問いには主語がありません。つまり、「お前は色々と対象世界に関して問いを立てているけれども、そういう問答を仕掛けてくる、そのお前、この現前する現実それ自体、それは何なんだ。問題はそこだ!」と、禅師たち(とくに馬祖系の禅において顕著な傾向ですが)は問うわけです。
    エントリの文脈に引きつけて書き直すと、「まあ色々と見えているかも知れないけれども、それに拘って右往左往しているお前、その如実の現実を考えてみろ」という問いになるかも知れない。いまたまたま『臨済録』を読んでいるのですけど、このエントリを読んで、そんなことを考えました。

  2. 三河奥地のトンネルで、ものすごく怖い目に遭いましたが、でも、あれも気のせいとして処理すべきなんでしょうね。

  3. どんなふうに処理してもかまわないとは思います。個人の持っている感覚については。
    しかし、どんな処理を選ぶか、はそれぞれ個人の考え方、生き方の問題だろうな、と思います。
    うふふふふ

  4. 幽霊より お金が見えるほうがいいですね。
    気持ちの悪いものが好きな人多いいですよ。
    たいていコンプレックスですよ。
    他の人にない能力がほしいとかのね
    バーカーといってあけてください。

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