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生きているのは健康に悪い

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人に勧められて2chのいげろうスレッドを読んだ。
いいね。いげろう。
彼は人生で思い出になるいい仕事をしていったよ。
まあ、長いスレッドだからいげろうの言葉と毒男の言葉くらいを読むだけでいい。
僕も彼みたいにいきたいね。
ってか、まあ、こんなふうに行くな。
いげろうは若いから爽やかに素敵に走り抜けたけれど、僕はオヂサンなんで、もう少し見苦しく、濁らせていくだろうな。見苦しいのも濁っているのもそれはそれで風情ってもんだしね。爽やかってのは似合わないし。
僕もいげろうみたいに、宗教に頼ることもなく、奇跡にすがることも無く、死に怯えながら十分納得できないまま、ものごとのメカニカルな仕組みを考えながら、いずれ来る死を待つんだろう。カッコつけの小心者で誰かの期待にいつも応えたいという行動様式からけっして自由になれないまま、誰かにカッコ良かったって言われたいと期待しながら。それも仕方ない。そういう僕だ……


僕は40を過ぎて厄年を迎えたときに、仕事の上でクリティカルな出来事に当たった。
その年、身近にいた会社の同期の奴が自殺した。多分鬱だ。僕と奴とは同じような仕事をしていて同じようなポジションだった。ことによると鬱になるのは僕の方だったかもしれない。次は僕の番だったかもしれない。いや、次なんかじゃなくて、その時は今かもしれない。僕と奴が同じじゃない理由なんてどこにもない。
僕は、自分の人生っていうのはもう折り返し地点なんだってことを強く自覚した。僕には「残された人生」しかないってことに気づいた。
僕はもう国体にでられるようなアスリートにはなれない。これから日に日に体力は衰え、バイクに乗る時間は刻一刻と削られていく。20年以上バイクに乗ってきたけれど、あと20年乗れるかどうかわからない。第一最後の何年かは上達もせず、諦めるまでただバイクに乗せられているだけの何年かになるんだろう。
僕だって死に向かっているのだ。
僕らの人生は有限だと気づいている人は少ない。
ああ、言葉としてはそんなふうに言う人もいるだろうけど、本気でそう自覚してる人は数えるほどだよ。いげろうスレでも宗教やら奇跡やら免疫療法やら看護やら人生を語るポエマーやらが入れ代わり立ち代わり出てきたけど、いげろうの言葉には遠く及ばない。可哀想な話に自己投影している自分に気づいてさえいないからだ。
ガンエボリューションの奥山君が言う「全国の欲情した女子高生のファン」ってこういうことなんだね。セカチュー(ハーラン・エリスン)が大好きなんだよ。
女子高生の方々は死んでいく人に親切だ。自分と違う世界の可哀想な人のために泣く。
厄年の後、僕は自分の最後に向かって足を進めることにした。
奥山君の言うとおり、ダラダラしてもグウタラしても、そういう人生だって人生のウチだ。無闇にあれもこれもと一生懸命になる必要なんか無い。
ただ、僕は今のうちにやっておかなくちゃいけないことについて、機会が飛び込んできたら拒まないことにした。
アンテナを張っていれば機会は飛び込んでくるものだ。僕は瞑想にこもり、ハヤブサにターボをつけ、blogを始め、合気道に通いだした。毎日グウタラして、今だってパンツ一丁でヨコキンはみ出てキーボードを叩いていて、夜更かしをして朝寝坊をしている。そういうグウタラまで噛み締めながら人生を過ごしている。
僕は子供のときから死ぬのが怖くて、自分がいない世界、自分の生まれる以前の過去から死んだ先の未来まで、悠久の歴史を考えて怖くて気が遠くなるような子供だった。今だって死ぬのは怖くてたまらない。
あとせめて100年や200年は生きていたい。できればずっと死にたくない。今まで死んだことが無いんだからこれからだって死ぬとは限らない。だからそういうことにしておきたい。
いげろうが「自分の生きてきた人生の小ささに恐怖する」って書いていたけれど、誰だって小さい。人間の全てが無駄な人生を生きている。アメリカの大統領だろうが、空爆で死ぬ幼児だろうが、同じように意味なんてない。100年後には生きていないし、名前だって覚えていない。もし覚えていたって死んだ本人には関係ない。
僕たちは海に向かって走るレミングの一匹だ。
わけもわからず走り続けているだけだ。走りながら産み落としたレミングの子供はそれが自分の子か誰の子かはわからない。自分の子供でも誰かの子供でも大した差は無い。どっちみち、その子もレミングなんだから。やがて海に落ちるレミングの一匹だから。
しかし、それでも僕らは走る。
僕は走る。
海に向かってかどこに向かってかは知らない。ジタバタしてもがいてるだけなんだが。
でもね、人生ってのは進むことなんかじゃなくて、進もうとしてもがくことなんだ。そういう悪あがきこそが人生の意味さ。偉人も乞食も、100年後にはその意味を失うのなら、全てが悪あがきだ。
だから僕は悪あがきをやめない。
もし、世の中が少しづつ良くなっているのだとしたら、もし、僕らが進化しているのだとしたら、個々の意味の積み重ねなんかじゃなくて、無意味な悪あがきのランダムネスが起こすソリトン波なんだろうよ。
僕はそれを願うよ。
その時が来たら…
せっかく死ぬのにもったいない。世界に向けてインターネットで配信だってしなくっちゃ。人生で一番の記念に。その時僕は世界最強だ。

コメント:2

2004年9月18日

人間色々な死ぬ瞬間ってあるだろうけど、死ぬ瞬間って冷静だぞ。
苦しみから解放される瞬間なんだな。意識が段々薄れてきて身体中の痛みも苦しみも、生きてきた苦しみも全て薄れて、ふっと逝くんだ。
あいにくと俺は生き返っちゃったけどな。んだから完全には死んでない。蘇生されたけどな。
生き返った瞬間はうるせーったらありゃしない。何をこいつらみんな騒いでいるんだ?って感じ。
そのときはマトモに思考できなかったからそんなもんだけど、それから3ヶ月くらいして次の死線を彷徨ったときも割と冷静だったな。病室の外でドクターと家族が話す会話の断片が聞こえてきて、ああ、死ぬんだなあって。でも何故か生き残った。抗生剤だの抗菌剤だのの薬よりも彼女のキスが効いたようだ。そんなもんだ。
しかし、つくづく思うね。生きているのはすごいことだと。

nomad 2004年9月19日

うわ。ホントに一回死んだヒトには負けー(笑)
彼女のキスの方が効くよねえ。そりゃそうだ。
ほんとにねえ、生きていかなくちゃいかんねえ。
しっかり、ダラダラ、生きていかなくっちゃねえ。

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