悪いことば 良いことば 

よい言葉 悪い言葉のエントリで、「こんな酷いサイトもあるが、こんな良いサイトもある」と紹介しましたところ、僕が名指しした「酷いサイト」に与していると積極的に発言されているてるてる日記から、コメントをいただきました
コメント欄でお返事しようと思ったのですが、ちょっと書き出したら、長くなってしまいましたので新しくエントリします。
terutellさん。僕はあなたのサイトには興味はないです。
あなたのやり方にも考え方にも興味ないです。
僕が書いたのは小倉氏のサイトが「皮肉、ほのめかし、はぐらかし、矛盾、スルー、ダブルスタンダード」の繰り返しをしていて誠実ではなく、品質が低い、ということです。
また、目的に応じて手段を行使しろ、とも書きました。
あなたのやり方があなたの目的に合っているならば、どうぞ、お好きにされれば良いです。
blogというツールの使い方と「皮肉、ほのめかし、はぐらかし、矛盾、スルー、ダブルスタンダード」という行為は全く関係が無いことです。
小倉氏のサイトは、blogというツールを使っているから目に見えて品質の低さがあらわになっていますが、あのサイトがいわゆるホームページ形式のWebサイトであっても、チラシの裏に書かれたものであっても、品質が低いことに変りはありません。
あのサイトは品質の悪さを糊塗しようとしているように見えます。
ぐらぐらしている椅子の足に見合わない大きさの釘をヘタクソに打ち込んで、土台はちっともまともになっていないが、ますます見栄えも悪くなってしまったようです。
blogというツールの相互性によって、酷い状態は増幅されはしましたが、もともとの品質の悪さは隠しようもありません。
お前たちが声をかけなければこんなことにはならなかった、ってのはそうかもしれませんね。(僕自身は一度もコメントしていませんが)誰も座れないただグラグラした椅子が残っただけだったかも。
その意味で「目的にあったツールを使え」という意見の正しさを検証することは可能でしょう。blogでなければ炎上はしにくかったでしょうから。
しかし、見失ってはならない点があります。よってたかって誰かが文言をぶち壊しに来たのではなく「その椅子はずいぶんグラグラしているぞ」と声をかけたら、いきり立って無闇に椅子に釘を打ち始め、そりゃずいぶんだぜ、と声を上げてももう止まらない、今ではすでに椅子だか何だかわからないものになってきているこの始末ですよ。
あんまり無茶なことをしだすので、見ている方の声は大きくなるばかり。それに輪をかけて釘を打ち込む弁護士。
釘を打ってる本人は、椅子を作ろうとしてるのか便器を作ろうとしてるのかオブジェを作ろうとしてるのか、まあできてから考えるというのも方便でしょう。
しかし、見ている側からすれば、まずみっともないことを… としか…
そんなにみっともないと思うなら見なけりゃいいだろ、という意見もおありでしょうが、野次馬ってのは見るものですし、親切に意見している人の文言もなかなか機知に富んで面白いので二次的なサイトの品質の享受をしているというわけです。こうして自分のblogにエントリもできますしね。
……


blogというツールの機能と限界についてはどうでもいいことだと僕自身は思っています。
blogは僕がぼんやりこうだったらいいのに、と思っていることに対して十分な機能を持っているとは言えないけれど、手間や金銭的なコストを比べると、まあこんなもんだろう、と思っています。
完璧ではないけれど、まあ、使えるから使います。
僕も時々コメントを消します。その行為について特別説明はしません。(する時もあります)
だからって別に不誠実だとは思いません。 だって僕のblogですよ。 僕の好きなようにします。
たとえもし、「皮肉、ほのめかし、はぐらかし、矛盾、スルー、ダブルスタンダード」が僕のblogの主要なコンテンツだったら、僕は積極的にそうした行為を実行するでしょう。
でも、僕ならこうした不誠実な行為は(ネタとして自分が面白がれなければ)やる気はないです。僕は自分が求めた誠実さに従います。
僕の中で十分に結論が出ていないこともあります。しかし、僕は個人なので、矛盾を抱えたまま、生きていくつもりです。矛盾を無理に正そうとして、どちらか片方の意見以外無いんだ、という態度は、僕自身の中で不誠実な処理をしていることです。
僕も世間に向かって自分なりの正論を吐こうとする時があります。
僕は右的なことも考えるし左的な意見も言います。
そうした時は、反対意見があるだろうことを予見しながら書きます。
反対意見があれば、自分の意見とすり合わせてみます。
相手の意見が下らなければ馬鹿にしたり無視したりします。
しかし、見るべきものがあれば譲歩します。それは時々は恥ずかしかったり悔しかったりしますが、いつかそれは自分の中で融合し、多角的な視点を提供してくれることになりますので、有用なことだと思っています。
ですから、「のびのびと議論するために誰かを批判するのはやめよう」というのは僕にとって聞くに値する言葉ではありません。
「僕は泳げないし、溺れた人をたくさん見てきた。だから皆船に乗るべきだ」
「僕はバイクに乗れないし、バイクに乗ってケガをした人をたくさん見てきた。だからバイクに補助輪をつけるべきだ」
というご意見には、僕は苦笑いするだけです。
別に、泳げなければ船に乗ればいいし、バイクが嫌いならクルマに乗ったり電車に乗ったり、いっそどこにも出かけなかったりすりゃいいでしょう。
バイクに乗っていて怖い目にあって、もうバイクに乗るのをやめた、って人を僕も何人も知っていますよ。
どうぞ好きにしてください。
ただ、バイクを無くせだの、バイクは怖いから補助輪を付けろだの、スピードを出すなだの、聞くべき意見とは思いません。
話し合いたくない、自分の意見だけを通したい、反対意見は聞きたくない、ある傾向の意見だけが有用な意見だ、だから自分に都合の良い意見を選択するんだ、と仰るなら。
結構。皆、好きにすりゃいいんです。
僕は好きにしていますよ。
どんな反対意見があろうがヘッチャラです。別に命を取られる訳でもなさそうだし、恥をかいて引っ込んでも、また違う場所で復活することだって可能ですしね。
怖くなったら撤退するし、飽きたらやめるし、おもしろけりゃ続けます。
「僕は怖いんです」って言いながらべそかきながらおっかなびっくりバイクに乗ってるのはみっともないとは思いますがね。泣き言言うならNWに乗るなよ、とも思いますがね。
僕はそういう人には興味ないですが、「こんな人もいるんだから合わせてくれ」って言い分は迷惑です。
同じような人たちが徒党を組んで「俺たちに合わせろ」って合唱されたら、モラルに反するような目で見られて僕の行動が制限されてしまいますから。
NW社会とリアル社会は、エントリ本文で書いたように、別のものではありません。
blogと今までのWebサイトやBBSはツールの違いはありますが、品質は関係ありません。
そして品質を決めるのはサイトを管理している人です。
僕が「良いことば 悪いことば」のエントリを通じて書いたことは只一つ。
品質の高いモノ見せれおまいら。
ということです。
そうですね、最後に、僕なりの建設的な提言をするなら
のびのびと議論するために、思ったことをやろう。相手を説得できるよう、自分の考えを整理し、相手に向けよう。そして相手の意見が聞くに値したら、自分の意見を変えよう。
ってことですかね。

6 thoughts on “悪いことば 良いことば 

  1. はじめまして。てるてるさんのところから来ました。
    お考え、まったく同感です。
    私もてるてるさんのお考えに反対する記事を書きましたので、トラックバックさせていただきたいと思います。
    まあ、あまり言い過ぎますと人格批判になってしまいそうなのでやめますが、てるてるさんのご意見は、昨今でもまれに見る極少数意見で、彼の主張が万にひとつも通ることはないだろうから、そこは安心できるかなってことぐらいですかね。
    それではまた!

  2. どうもありがとうございました。
    思いもしないところから思いもしない反応が来るのはおもしろいですね。
    こういうのがblogっつーかNWのおもしろさですねえ。
    今後もよろしくお願いします。

  3. はじめまして、はむはむさんところからきました。
    私の日本語能力では上手く書けそうにないことをスラスラと表現されていることが嬉しく、TBさせてもらいました。
    取り上げていらっしゃる事象についてはあまり興味がないので触れませんが、おっしゃられている意味合いにとても共感しています。
    特に最後の2行の太字! そのまんまです(笑)
    TBを初めて使うので、私のエントリーみたいな内容から張ってしまってよかったものか謎なのですが 問題ありましたら教えてやってくださいませ。
    では失礼いたします。

  4. コメント、トラックバック、ありがとうございました。
    お褒めいただいて嬉しいです。照れちゃいますなー。
    当方、トラバ上等、コメント上等ですのでお気遣いなくしちゃってください。

  5. > 1.山形さんは人とのコミュニケーションは不快だとおっしゃておりますが、なぜで
    > すか?
    同じ意見の人が「そうですねー」「だよねー」「やっぱりねー」と言い合っているのは、コミュニケーションでもなんでもないんです。コミュニケーションは、自分が最終的には変わることです。自分がいままで認めていなかったことを、認めざるをえない立場に追い込まれたりする体験がないものは、コミュニケーションではないと思っています
    http://cruel.org/other/friday.html
    山形浩生氏HPより
    コミュニケーションとは元来不快なもの
    至言だと思います。
    ブログのコメント機能は正にその為の機能。
    他者とのコミュニケーションを拒否するのであれば堂々とその権利を行使すれば良いだけですね。
    自らコミュニケーションの機会を求め、その結果に満足出来なかったとしても、それは自己判断自己責任に過ぎない、それが節度ある大人の通例の態度といえるでしょう。

  6. いらっしゃいませ。れんやさん。
    山形浩生はいいコト言うよね。
    僕も信頼してます。クチが悪くて憎たらしいこともありますけどね。
    てるてるさんのやり方にケチつけるつもりは無いけど、少なくとも俺に影響のないところで好きなことやってくれや、と思います。
    あー、すまんウソ言った、ケチつけたかったです。ヘタレなblogにはケチつけたい。
    でもまあ、わざわざ出向いてケチつけるのも、確かに大人気ないなーとコゾウの僕は思うのでした。

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