奥山貴宏氏 死す

小説
死にたくないな。

なんでこう人の死のエントリが続くのか。
奥山氏が死んだ。
実はここ何週間か、奥山氏のblogには行っていなかった。
バイク乗りということでなんとなく共感していて、コメント欄にも何度かコメントしたことがあるのだけど、最近病状が思わしくないらしく、なんだか気が重くて訪れる気にならなかった。
「ツーリングに一緒に行きたい」なんてコメントをしたくせに、どうやらそれがだんだん難しくなって来たのがわかると途端に気後れしてしまったのだ。
僕らはいずれ死んでしまうことに、僕は気づいている。
誰もが無駄な生を生きていて、誰もが意味の無い死を迎えることに気づいている。
しかし、どんなにシニカルな言葉で言い繕っても、少しでも僕に関係した人、猫が失われてしまうと、激しく動揺してしまう。
毎日人は生まれ、毎日人は死んでいく。
僕には沢山の友達がいて、沢山のリスペクトする人がいる。そうした人を失ってしまうのはとても悲しいことだ…

4 thoughts on “奥山貴宏氏 死す

  1. …ポール牧も死にました。何があっても自殺はいけませんが、仏教の僧侶だったのに、実際は得度すらできていなかった、と。残念です。だから、帰依どころか年に数えるほどしか線香を上げない私が彼に意見しても良いでしょう?命は、生きるために与えられてるのは私でも知ってます。死なない人はいないんですから、自ら急ぐ理由は存在し得ません。死ぬまで生きてて欲しかった。合掌。

  2. どうも、お邪魔します。
    天寿を全うする人、自ら命を絶つ人、不測の事態で選択の余地もなく強制的に命を絶たれる人・・・、自分はどのパターンに当てはまるのかな?。自殺はありえないから残り2択。それとも、もっと別
    の選択肢があるのかな~。まぁこんな事気にしても意味ないし、今を頑張って乗り切っていくだけですけどね。
    奥山氏のご冥福をお祈りします。
    それでは、お邪魔しました。

  3. 人が死んでしまうというのは、本当に切ないです。
    何故、と思うけれども、こればかりは、お釈迦様でも
    教えてくれない。
    私事ですが、私の周りでも、三月末に父が亡くなりました。
    本当に突然のことだったので、何もできなかったのですが、
    せめて私の生きている間は忘れずにいることが供養かと、
    いまは思うようになっています。

  4. さおさん、大変でした。ご愁傷様でした。
    さおさんのお父さんはどんな人だったんでしょうか。
    僕の両親は健在ですが、僕は家族に葛藤をもっているので、なかなか素直にはなれません。
    祖父母が死んで何年もたってから後悔しているような始末です。
    死んだからこそ相容れたのかもしれませんが、それも切ないことです…
    家族は愛し愛されていることが大切だしそうあって欲しいと思います。僕はなかなかそうもいかず家族に対して不器用にしか接しられないのですけど、そういう家族に憧れます。

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