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生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(3)

  • 投稿者: nomad
  • 2007年7月31日 2:19 AM
  • こころ

僕は以前、「僕は僕なりのモラルで行動する。それは法律とは関係しない」とどこかで書いたと思うんだが、こういう考え方はあんまり一般的な考え方じゃないのかな?
どうも法律とモラルを同一視している人もいるようだ。
よくわからないのは、法律を守るかどうかというよりも、僕には理解できない/共感できない理由で誰かに怒りを向ける人たちがいるということだ。
……


山口県光市母子殺人事件の被害者遺族の本村さんの発言についてmixi内での会話。

A氏:本村さんが望んでいるのは犯人の死であり、すなわち殺人ではないか。
僕:そうでしょうね。彼は犯人を殺そうとしていますよ。
B氏:非常に不快ですね。
僕:いえ。僕はそうは思いません。僕も同じ立場なら犯人を殺します。
C氏:人殺しが紛れ込んでいるな。こんな人間は排除すべきだろ。こんな自称被害者に同情するのなんておかしいよ。

一見、「殺す」発言をしている僕よりも、順法精神に富み、行き過ぎた行動だと本村さんを批判する人たちの方が、僕には酷薄に見えましたねえ。
そして、本村さんを支持する僕にまでその怒りの矛先を向ける。
僕にとっては、僕にはわからない理由で敵意を表す人の方が怖いな。
「意見が違う」ってだけだよ? 僕はAさんにもBさんにもCさんにも敵意を表していない。
どうやら、こういう本村さんへの批判って、mixiの日記の中だけじゃなく、いろんなところで言われてるらしい。2ちゃんとかでもきっとやられてるんだろうね。
本村さんを批判する人たちって、どういう人なんだろう。
その人たちは、本村さんのような残酷な運命を目の当たりにした時、どうやって自分を納得させるんだろう。行政に任せるのかな? 法律に慰撫を期待するんだろうか。
僕は前のエントリで

nomaddaemon: 生きていることと死ぬこと、殺すこと、失うこと(2)
「受け止めて、わかる」ってわけにはなかなかいかないよ。

後に残ったその苦い感覚を放り出してしまったら、僕らが手にしていた大切なもののカケラさえ失ってしまいそうだ。

と書いた。
僕らに残された最後の感情さえも本村さんを批判する人は手放せと言う。
その方が「幸せになれるから」だとかなんとか。
本当に、その人たちは大切なものを失ってしまった時に、幸せになるために、自ら残ったものさえも捨てることができるのかな。
残ったものを捨ててまで幸せになることを本村さんは望んでいるのかな。
僕なら、自分の幸せのことなんて考えない。
僕は、僕がやらなくてはならないことをやるだろう。
もし幸せを望むのだとしたら、その後のことだ。
例えばあなたは、自分の子供の学費を出す前に、自分のバイクに乗るかい?
自分が腹いっぱいに飯を食べた後で、子供にご飯を食べさせるかい?
自分の幸せと、やるべきことがあって、どちらかを選ばなくてはならないのだとしたら、僕はやるべきことを先にやるだろう。やるべきことをする前に得たものを、僕は幸せとは呼ばない。
本村さんは、今やっていることが、自分のやるべきことだと考えてやっている。
それは復讐かもしれない。
それでも僕はいいと思う。
本村さんは違法なことは何一つしていない。
もし本村さんを非難するのであれば、本村さんのモラルに対して批判しなくてはならない。
しかし本村さんのモラルの何に対して批判すればいいの?
犯人の死を望むことに対して?
批判者の、本村さんへの敵意は、モラルとは関係ないの?
本村さんにただ同意しただけの僕へ向けられた敵意は、モラルとは関係ないの?
僕は、本村さんに対して反感無き批判なんてものがあったとは思わない。
もしあったとしても、それが何だと言うのか。
批判者のモラルと、本村さんのモラル、僕のモラルとは違う。ただそれだけのことじゃないのか。
彼らのモラルと本村さんのモラルは相容れないが、社会的に許容されない–つまり「排除すべき」–ものじゃないよね。
えーと、あと1回くらい続きます。多分、次でおしまいにします。

コメント:9

pipi 2007年7月31日

受け止めるとか共感するという事は、
想像力の問題なので、その力が落ちて
きているのかもしれませんね。
教育とか環境の問題なのかも知れませんけど。
自分の家族が殺されることをリアルに想像でき
ないから、こんな意見が出てくるのだと思います。

kori 2007年7月31日

ワタシが裁判員なら、犯人を死刑に処すほうに一票。

kumakuma1967 2007年7月31日

うーん、当事者になった時の事じゃないんだよね。俺の書きたかったのは。傍観者、あるいは傍観者だったのが、「殺したい」って本気で思っている人の近くにいる事になった場合の話。
 傍観者としてなら、自分の見える事以外事情は知らないわけだ。
 僕は本村さんが何を真実と考えているか知らないし、警察や検察、裁判所にしても真実は知らない。裁判では最高裁の証拠の解釈が「科学的にありえない」って突っ込まれてるところだし、裁判所が科学的にあり得ない事を言うのは珍しくない。学説に基づく説明を受けてもほとんど自説を曲げずない。判決文読む限りは裁判所って日本の公的機関の平均よりは水伝に近い存在だし。
それでも裁判所は証拠に接する能力があるだけ、普通の人よりは真実に近い。
でも傍観者はほとんど何も知らない。人の話のまたぎきに過ぎないでしょ。
そういう立場にある奴らが「やっちまえ!」ってヤジを飛ばすのはどうなの?
 で、「お、おれ応援されてんじゃん」って、野次馬相手に演説ぶって、群集が殺したい相手を叩き潰すって構図はどうなのよ。
仮に権力の外で、犯人を本村さんが一人で叩き殺したとして、自分が裁判官だったら情状酌量して減刑を試みるだろうけど、本村さんそんなことしてないし、おれ裁判官じゃないし。
仮にnomadさんがそうなったらって話なら…..
俺の役目は多分考え方の違うnomadさんをnomadさんのために止める事で、そのためにできる事ってできれば会って話するくらいだろう。又聞きの話じゃなくて肉声を聞きたいだろう。止められるどころか共犯者になるかもしれんが。
仮に自分の家族がそうなったら、んなことはわからん。へたれになってるかもしれんし、ぶち殺しにいってるかもしれないし返り討ちで死んでるかもしれない。おとなしくしてるかもしれない。
殺すの殺さないのって話は傍観者がどうこう言っていい話じゃないし、お祭りじゃないんだから「野次馬集めてたこ焼き売って一儲け」ってマスコミのやり口は気に喰わないね。

さお 2007年7月31日

>僕は僕なりのモラルで行動する。それは法律とは関係しない
私も全く同じ考えです。
てか、自分の倫理まで誰かが勝手に決めた法律任せにできてしまうってのはどうなのよ? と、思ってしまいますね。
ま、こんなことを言ったら直ちに、「じゃあオマエは人殺しも平気でするんだな? 法律では禁止されてるんだぞ!」とか言い出すヒトが出てくるんでしょうが、なんというか情けない話ですね。「法律」を前提としなくたって、人殺しなんざ別にしないし、他人にだって優しくできる。そういう当然の倫理すら自ら設定できない状態に陥っているということが、現代日本人の病理なんだと思いますねえ。。。

nomad 2007年8月1日

> kumakuma1967さん
他人のSNS内の日記を転載するのはまずいと思い、今回のテーマに対応する部分のみのやりとりの概要を書き出したつもりでした。
敵意の対象者として一緒くたにされたと思われたようでしたら、誤解を招く表現になったことをお詫びします。
kumakuma1967さんがその後の日記のコメントで書かれたように「マスコミ自重しろ」という主張については理解できます。
また、無関係な他人が焚き付ける現象については、次回のエントリで触れるつもりです。

たけちよ 2007年8月1日

アホのオイラには難しいことはわかりませんが、「まっとうな人」の考える「まっとうな生き方」=「モラル」の最大公約数を成文化したもんが「法律」だとおもいます。
ですので妻子をあやめられた方が犯人に極刑を望むのがモラルに反することでもないと思いますし、実際に法律もそれを想定してるわけですし、多くの国民の考えとも離れてないわけですし、かりに違うならおのずと法律が代わっていくとおもいます。

jinnki 2007年8月1日

うう、人は人を殺し今まで栄えてきたわけです。それは望ましい結末を生まないことが多いので、やめようねと法律が出来ただけです。私もその限りではそれに従います。でも心の問題は違います。相手を殺したくなることもあるでしょう。その心を中心に物事を見るのか、こうあるべきな法律で物事を見るのかスタンスが違うだけです。相手がどこを中心にその事を考えているかを理解しようとしないで、決まりごとの法律を楯に、相手を殺したいと思う気持ちを私もそう思うと言う人に向かって、人殺しがいる、とは何事ですか。
件の事件の話題ではなく、そこに参加したnomadとお相手の方々との議論の意味がなかったとお見受けしますが。
私もわからなかったし、今もよくわからないけれども、あるべき論=総じて理屈がいかに人が生きる上で無意味であるのか体感しないとわからないので、あるべき論者は違う意見を持つ者に対して一様に攻撃的であるように思います。
でも知っていることとわかっていることは違うし、わかった=体感=心なので、それを誰かに伝えるのもまた難しいことですが。

骨王 2007年8月1日

うーむ、
本村さん自身は紛れも無く当事者だし、nomadさんも
>僕も同じ立場なら
と言っているのだから初めから当事者になった時の話のように受け取れます。
いや、はっきり言ってそうとしか受け取れない。
まあ、それまでの文脈をわかっていない外野の意見ではありますけれど。
ちなみに僕は被害者や遺族を考慮して判決を決めることには反対だけど、被害者や遺族が犯人に復習したいとか、殺したいとか八つ裂きにしたいとか思うこと自体はnomadさんと同じく全く自然かつ当然だと考えます。
もちろん、そう思わない人がいてもいいのだけれど、被害者や遺族に対して、そういう殺したいというような感情は持たない方がよろしいですよ、持つべきではないですよ、と進言するならともかく、
>非常に不快
ではそれもその人の感情でしかない。
これではそこから先はどんなに論理的に話しているように見せかけても所詮はその人がそういう感情を持った理由の説明にしかならない。
議論の内容ではなく、目的がすでに低次元だと思いますね。

nomad 2007年8月2日

皆さん、コメントありがとうございます。
皆さんのコメントで、次のエントリの方向性も変わってきそうです。
でも、こうした話ははやいとこ引き上げて、能天気な話をしたいと思うんですけどね。
気がかりなことなんかサッパリ忘れたいものですー

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