浜松市の職員はホームレスを見殺しにしたか?

もう退職したが、僕の親父は浜松市の職員だった。
同級生にも友人にも浜松市の職員がいる。
兄弟同然で育った従姉妹の旦那は浜松南消防署の救急隊員だ。

<野宿女性>浜松市役所に運ばれ死亡 「あと一歩」対応なく(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
<野宿女性>浜松市役所に運ばれ死亡 「あと一歩」対応なく
1月16日2時31分配信 毎日新聞
 浜松市で昨年11月、空腹のホームレスの女性が市役所に運ばれ、福祉担当職員らが取り囲むなか心肺停止状態となり、翌日死亡した。敷地内の路上で寝かされ、市が与えた非常食も開封できないまま息絶えた。「すべきことはやった」と市は説明する。だが、なぜあと一歩踏み込めなかったのか。女性の死は重い問いを投げかけている。【井上英介】
 市によると、11月22日昼ごろ、以前から浜松駅周辺で野宿していた70歳の女性が駅地下街で弱っているのを警察官が見つけ、119番通報。救急隊は女性から「4日間食事していない。ご飯が食べたい」と聞き、病気の症状や外傷も見られないことから、中区社会福祉課のある市役所へ運んだ。
 女性は救急車から自力で降り、花壇に腰を下ろしたが、間もなくアスファルト上に身を横たえた。連絡を受けていた同課は、常備する非常用の乾燥米を渡した。食べるには袋を開け、熱湯を入れて20~30分、水では60~70分待つ必要がある。
 守衛が常時見守り、同課の職員や別の課の保健師らが様子を見に訪れた。市の高齢者施設への短期収容も検討されたが、担当課に難色を示され、対応方針を決めかねた。
 運ばれて1時間後、野宿者の支援団体のメンバーが偶然通りかかった。近寄って女性の体に触れ、呼び掛けたが、目を見開いたままほとんど無反応だったという。職員に119番通報を依頼したが、手遅れだった。メンバーは職員に頼まれ、救急搬送に付き添った。
 「職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景でした」とメンバーは振り返る。「保健師もいたのに私が来るまで誰も体に触れて容体を調べなかった。建物内に入れたり、せめて路上に毛布を敷く配慮もないのでしょうか」。女性に近寄った時、非常食は未開封のまま胸の上に置かれていたという。
 最初に病院ではなく市役所へ運んだことについて、市消防本部中消防署の青木紀一朗副署長は「業務規定に従って血圧や体温などを調べ、急患ではないと判断した。隊員によると女性は病院へ行きたくないそぶりを示した。搬送は純粋な行政サービスで、強制的に病院へ運ぶことはできない」と話す。
 市の一連の対応について、社会福祉部の野中敬専門官は「与えられた権限の範囲内ですべきことはやった。職員たちの目に衰弱している様子はなかった。容体急変は医師ではないので予想できない」と話す。
 死因は急性心不全だった。女性の死亡後、市民団体などから抗議された市は、内部調査を実施。中区社会福祉課の対応について「空腹を訴える女性に非常食を渡し、収容可能な福祉施設を検討した。2回目の救急車も要請した。職務逸脱や法的な義務を果たさなかった不作為は認められない」と結論付けた。

これを「浜松市の職員は見殺しにした」「人でなしだ」と言う人がいる。
世の中にはそういうことを言う人は多いし、そうやって気を紛らわすのだろうから、いちいち言って回ることはしないつもりだった。
だが、僕の友人知人も同じ趣旨のことをmixiで言ったりblogに書いているのを見た。
よく考えてみてくれ。
そういうあなたは、この婆さんを救えたのか。
救えたのか?
で、どうやったら救えたと思うんだ?
あなたの町にはホームレスはいるかい?
もしいるんなら、どんなふうに生活してるか知ってるかい?
その人たちが具合悪そうにしていないか気遣ってるかい?
俺が腹を立ててるのは、自分じゃ日頃、「不幸な人たち」に手を差し伸べたこともないくせに、こんな事件が起きると誰かを悪者に仕立てて溜飲を下げようとする連中がいることだ。
手を差し伸べるどころか考えたことさえなかったくせに、できもしないこと、やってもいないことを並べ立てる。
俺は東京に生活していて、うんとたくさんのホームレスを見る。
駅や公園で野宿してたりしてるのを見るよ。
こないだ浜松に帰省したら、10年前にはいなかった鍛治町の地下道に何人ものホームレスのダンボールハウスができていて異臭がしていたのには驚いた。
浜松の冬は寒い。
薄暗い雲が空を覆い、世界中を呪うようにごうごうどろどろと音を立てて強い風が吹く。
乾燥しきった空気は頬を切り耳を叩く。
その風を避けて地下道に逃れてきても、足元から這い上がってくる底冷えする寒さにダンボールがどれほどの役にたつだろう。
たぶん、もう何ヶ月もそうやって生活してるんだろう。地下道全体に異臭は染み付いているようだった。
それでも俺は、それを見ないようにしてわきを通り過ぎた。
あなたたちは、彼らに声をかけるのかい?
「寒くありませんか」「おなかは減っていませんか」って。
で、寒かったら毛布を、空腹だったら暖かい食事を彼らに与えるのかい?
今、あなたはそうやってるのかい?
浜松市の職員はそれをやるべきだって言うのかい?
で、彼らは浜松市民なの?
税金払ってるかとか浜松市内で働いてるかだとかは言わないよ。せめて住民登録してるの?
もし浜松市民でない人に、浜松市がサービス提供したら、他の市民に対して不公平なんじゃないの?
個人の気持ちでなんとかしろって言うの? なら、浜松市の職員じゃなくても良かったんじゃないの。
駅にはずいぶんたくさんの人がいたはずだ。市役所にはいくらでも浜松市民がいただろう。
職員だけに「個人の気持ちで」なんて要求するのはおかしいだろ。
そもそも、その現場を見てもいないのに、想像を膨らませたって何の意味があるんだろう。
第一、本当に見て見ぬふりをしていたんなら、ぞろぞろと何人も職員が集まってきたりはしないだろ。
何事かと心配して集まってきたとどうして思わないんだ? なんとか力になれないかと集まってきたものの、浜松市の行政サービスとして受け入れることができないから、どうしようもなかったんじゃないのかい。
たとえば浜松医療センターは俺が住んでた頃は一流の病院だったが、今じゃ患者が医療費を支払わずに逃げ出すもんだから、えらいこと赤字で税収を圧迫してる。踏み倒しができる病院として日本一有名らしいよ。ある意味とても福祉的な病院だ。皮肉だけどね。
そうこうしているうちに容態が急変したんだろ。
「支援団体のメンバーが偶然通りかかった」なんて、バカですか。
そんなの誰かが支援団体に相談したに決まってるじゃん。 なんとかしてやりたいと誰もが思ってたんだよ。
…そんなはずないって?
ああ、そうだな、俺もその場を見てないからな。
じゃあ、あなたはその場を見てそう言ってるのかい。
僕は浜松市の職員を非難した人を問い詰めたりするつもりはない。
でもさ、考えてみてくれよ。
そうやって浜松市の職員を悪者に仕立てて、何か解決できるのかって。
悪者に仕立て上げて非難したからって、それでホームレスの人たちを救えやしないんだよ。
たとえ今、倒れてる婆さんが食いつないだからって、何ヶ月かしたら、このままじゃ婆さんはやっぱり路上で死んだよ。
誰かを悪者に仕立てたら、そこでこのお話はオシマイなんだよ。
「悪いヤツはあいつだ!」と非難したら大抵の人は後のことは忘れてしまうんだ。
そうしてもとの生活に戻る。
地下道のホームレスを横目でチラリと見て「かわいそうな人ね」くらいは思うかもしれないが、彼らが同じ電車に乗ってきたら次の駅で別の車両に移動する生活に戻るんだ。
だからさ、ホントにこの婆さんがかわいそうだと思ったら、福祉の仕組みでなんかするようなシステムを提案してくれよ。税収の中でね。
でなきゃ、あなたが、慈善活動をうんとして、世間のみんなを啓蒙してくれよ。

77 thoughts on “浜松市の職員はホームレスを見殺しにしたか?

  1. ひとりが無惨に死んでしまった。
    それだけをただ悲しみなさいと椰子は告げるでしょう(´;ω;`)
    死は生の帰結であり、その生あるからの、その死であるでしょう。
    ならばその死を悲しむことは、その生を悲しむことです。
    不幸を摘み取ることが大事なのではなく、不幸の種を撒かないことこそが大事なのだと、椰子は人に告げるでしょう。

  2. 人が簡単に死んじゃうかもしれないという想像力に欠けているのでしょう。よほどの事がない限り人は死なないと思っているから、よほどの事があったと信じているのでしょう。自分が死にかけてる事すら気がつかない人なんて珍しくないと思うのだけど。

  3. なんか呼ばれた気がするからやってまいりますた。
    いやnomad大兄、オイラはちょっと違うと思います。
    僕は税金を払うことで、福祉というシステムも含んだ国家運営の0.0001%を支えていると思います。
    その実行結果について批判する自由もあるとおもいます。
    あと「浜松市の職員」を批判するつもりはありません。
    「浜松市の職員」がホームレスを助ける義務はないでしょう。
    「消防署員」も同様です。
    でも国家>地方行政の仕事として福祉があって、その担当部門「福祉担当課」の職員が「行き倒れ」に対して行った今回の処置、「見殺し」と批判されても仕方のないことではないでしょうか?
    彼らの仕事は「福祉」です。
    その中には「行路病人への救護」ってのあると思いますが。
    オイラは「市役所の職員個人」に「なんでその場にいて助けてやらなかったんだ」と考えてないです。
    上記「仕事」がなってないから「見殺し」といわしていただいてます。
    たとえるなら消防署員の火事を消さない、警察官の泥棒を見過ごすがごとしです。
    彼らの「仕事」に対する批判なんだから「いうならオマエがやれ」ってのは違うと思います。
    あと、住民登録の有無については確かに考えるべき問題(「浜松市」の福祉の対象になるのか否か)ですが、やはり法のどこかで「行路病人」として取り扱われるべし、と決まっているんじゃないか?とワタシは認識しています。
    すんません、それはソースもってないです。
    役所の福祉担当部門の仕事に、行路病人に対する救護ってのがないなら、オイラの批判は見当はずれ、ってことになると思いますが。
    つうことで行きたくないけど会社にいってきます。サムー

  4. 「だったらお前は救えたのか?気遣ってるか?」というのは、それもまた責任のすり替えというか、「俺は救えるし、ボランティアしまくってるよ」って人がいたらそれで終わりのような気が…。
    そこら辺にいる全てのホームレスを救えないなら、福祉を語る資格は無いというなら、多分誰にもそんな資格は無いけれど、窮鳥懐に入らば猟師これを助くということわざもあるように、目の前の一人が困っているなら助けてしかるべきではないかと思います。
    税金だ担当部門だ誰の責任だとかという問題でなく、人間として。
    もし、行き倒れていたのがnomadさんのお父上だったとして、死にかけているのに「住民登録してますか?してないなら死んで下さい」、なんて言っている役人がいたら職務に忠実で立派だなあと思えますか?

  5. 要は見た目にわかりやすい構図を描きたいだけなのかなと。
    毎日のように利用する駐輪場の脇にホームレスホーム?が建ってます。邪魔です。
    これは僕の認識不足かもしれませんがホームレスってのは好きでやってんじゃないんですかね。働いて定住して生きてくなんて、むしろそっちのの方が誰でもできるというか、フツウの人はそれしかできない。
    僕ら会社のドレイよりホームレスの方がずっと精神的に自由じゃないですか。だからべつに同情すべき人たちをは思ってないです。パターナリズム的な視点からはホームレスという生き方を許容すべきでないとすら思います。
    そしたら、まあ死ぬこともあるだろうな。医療を受ける権利すらも放棄した自由な生き方も、生命の有限性という呪縛からは逃れられないと。
    合掌。
    ちなみに僕は今まで生きてきて人間の死体をいうものを一度も見たことがありません。死、欠如してます。おそろしいことです。

  6. >>教祖
    師よ、私は迷う者です。
    ただ悲しむだけでなく、行き場のない怒りを抱えています。
    そしてその怒りを自分への言い訳にしようとしています。
    「あなたたちの中で罪を犯したことがない者が、まずその女に石を投げよ」
    ギネヤアブラヤーシ
    >>kumakuma1967さん
    人はあっけなく死んでしまいますよね。羽毛よりも人の命は軽い。コンビニのおにぎりや暖かい缶ココアと引き換えになるくらいです。
    ほんのちょっと目を放した隙に人は死んでしまう。
    「そのうち飲みに行こう」って言っていた相手が何日か後に死んでいたり。
    命なんて儚いもんです。人生なんてちょっとした躓きであっけなく崩壊してしまう。
    「もしかしたら死んでいたのは自分かもしれない」
    「もしかしたら『彼女を殺したのはお前だ』と糾弾されたのは自分かもしれない」
    とはなかなか想像は巡らないものかもしれませんね。
    >>たけちよさん
    調べたところ、法律上、行旅病人の取り扱いは市の社会福祉課が行います。
    (行旅病人及行旅死亡取扱法)
    しかし救急隊員は病気や怪我をした急患ではないと判断しています。
    社会福祉課職員が救急隊員に成り代わって瀕死の状態だと判断するのは難しいでしょう。
    婆さんは亡くなったのですから、結果的に判断を誤ったとは言えるでしょう。
    ですが、救急隊員以上のスキルと経験を社会福祉課の職員が持っていない限り「正しい判断」はできませんよ。
    >>だいくまさん
    <人間として>助けなくてはならないのであれば、それは市の職員に限りませんよ。
    エントリに書いたように駅員なり警官なり救急隊員なり浜松市民なりができたことです。120円の缶ココアがあれば、この婆さんは役場で死ぬことはなかったんじゃないでしょうか。
    なぜ市の職員だけを責めるのですか。
    僕が「だったらお前は救えたのか?気遣ってるか?」と書いているのは、自分だったら救えたと言わんばかりの論調に辟易しているからです。
    ええ、僕はこの婆さんを救えそうもありません。
    僕は見て見ぬふりをして、ホームレスの隣を通り過ぎましたから。
    本当は僕と同じように、日頃、不幸な人たちに対して見て見ぬふりをしている人が、その場に居合わせたら正しい判断をして婆さんを救えるとは思えません。
    そもそもその人たちはその場に居合わせもしませんよ。そうしておいて、死場に居合わせた人を責めるのはおかしいじゃないかと言っているんです。
    今日もずいぶん冷え込んでいます。
    ホームレスの人には過酷な気候です。
    聞けば毎日、ホームレスは死んでいるそうです。
    それを知っていながら何もしていないのは、僕と同じように無力な者じゃないんですか。
    自分が無力なのに、同じ無力な者を責めるのは、代償行為でしかありませんよ。
    そんなものは何も生み出さない。
    市の職員が死にかけている人に「住民登録してますか?してないなら死んで下さい」と言ったわけでもないのに、そうしたセリフを作ってそれを叩いて何が生まれるんです。
    それは人間としての優しさや思いやりをもった人のやり方ですか。
    自分が無力なのだとしたら、自分自身の無力さを噛み締めるべきだと僕は思います。
    せめて傲慢にならぬように。

  7. >>udonどん
    へそまがり…
    僕は人の命がそれほど重いとは思ってないんだよね。簡単に人は死んでしまう。残酷な仕組みが世界の現実だと思うよ。
    だからってそれを善しとは思ってない。なんとかならんもんかなあと思ってる。無力だけどね。
    udonが世界の不幸に対していつもシニカルな態度を取るのは、君が自分をスポイルされた存在だと思っているからさ。自分自身が世界の不幸の一部だと思ってる。
    俺は自分の友達が幸せになってほしいと願ってる。
    願ってるだけで何にもできないんだけど。

  8. コメントが反映されなかったようなので再投稿しますが、重複していたら、お手数ですが一番目のほうを消して下さい。
    みんなが悪いのだから市役所員が責められるべきではないという理屈は分かりません。
    みんなが悪いなら、みんなが平等に責められれば良いのであって、だから市役所員は間違っていないという正当化もおかしいのではないでしょうか。
    それはもはや逆差別というか、一周して、「市の職員は人間として人を助けるべきではない」、という論調にすり変わっている感を受けました。
    私はこの事件に特に関心は無いです。私が関心があるのは、「この事件に関するnomadさんの意見」です。
    これが見ず知らずの人間の書いたものなら斜め読みして飛ばす内容であるところを、「なぜ、nomadさんがこのような思考に至ったのか」という一点において疑問に思ったのです。
    >市の職員が死にかけている人に「住民登録してますか?してないなら死んで下さい」と言ったわけでもないのに、そうしたセリフを作ってそれを叩いて何が生まれるんです。
    とのことですが、これは市職員が言ったのではなく、nomadさんが言っているのです。
    >浜松市の職員はそれをやるべきだって言うのかい?
    で、彼らは浜松市民なの?
    税金払ってるかとか浜松市内で働いてるかだとかは言わないよ。せめて住民登録してるの?
    もし浜松市民でない人に、浜松市がサービス提供したら、他の市民に対して不公平なんじゃないの?
    この部分ですね。この発言が、「光市母子殺人事件」や「さくらちゃんを救う会」について書いた人のものだという事が分からなかったのです。
    >たとえ今、倒れてる婆さんが食いつないだからって、何ヶ月かしたら、このままじゃ婆さんはやっぱり路上で死んだよ。
    これもまた、nomadさんの発言としては不穏当な印象を受けました。人間の命に価値などというものが仮にあるとして、それは、残り寿命と比例するのでしょうか。
    死ぬと分かっている人間に手を差し伸べるのは無意味だというなら、全ての命が死に向かって進んでいる以上、程度の差こそあれ、等しく救う意味など無いのではないでしょうか。
    そして命に貴賤があるなら、公平な福祉サービスとは何を指すのですか?
    そして、最後の結論である、
    >だからさ、ホントにこの婆さんがかわいそうだと思ったら、福祉の仕組みでなんかするようなシステムを提案してくれよ。税収の中でね。
    でなきゃ、あなたが、慈善活動をうんとして、世間のみんなを啓蒙してくれよ。
    これが決定的に分からないのです。なぜなら、nomadさんご自身が、
    >120円の缶ココアがあれば、この婆さんは役場で死ぬことはなかった
    と理解しているからです。婆さんはシステムや税収や、慈善活動が不備で死んだのでもないでしょう。ココア一本の人情の不足で死んだんです。
    必要なのは、制度や慈善じゃなくて、もっと当たり前の、個人で出来る範疇の親切だったのではないですか?
    我々は無力だから、何もしなくて良い。傍観者という加害者に共犯意識を持ち続けていることで良心が痛んでいるのだから、十分、罰せられているのだというのがご主張だとしたら、私は頷きかねます。
    少なくとも私は、時々、明かに電車に乗る様子の無い、きったないおっさんに電車賃をせがまれた時は、小銭をあげたり、生きてるのか分からない人が落ちてる時は呼吸を確認する程度には「無力」ではないからです。嫌だけど、息をしていなかったら人工呼吸くらいはするでしょう。ココアの一本もせがまれれば買うでしょうし、自分に酔っている時なら、川に落ちた子猫のために飛び込むくらいの親切さは持ち合わせています。
    そうした類いの親切を他人にも強要する気はありませんが、自分が無関心で無力だから世の中もそれに準ずると考えるのも傲慢だと思います。

  9. 目の前で死にかかってるのに適切な処置を取らなかったのは非難されてしかるべきでしょう。それをよりマクロ的な話に展開するのはまた別の話です。
    あなたが普通のホームレスと比較するのなら、私は目の前でおぼれている人と比較したくなります。

  10. 駅の階段を踏み外してすっころがって頭から血をだらだら流しているおっさんを助け起こして駅員と一緒に救護して感謝された事ありますが、それに気を良くして、駅のベンチで寝入っている人が本当に生きているか心配になって寝息を確認したら置き引きと勘違いされてひと悶着あった事もあります。
    浜松の地下道で、宴会で余った缶ビールをホームレスのおいちゃんにあげたこともありますが、喜ばれると思ったら逆に毒でも入っているのか?と疑われた事もあります。
    人の世は難しいね、本当に。ただのめぐり合わせなのかね?

  11. 浜松有楽街の地下道(?)、この前工事してました。
    地下道なくなるっぽいです。横断歩道化、地上化してますので、退避場所が一つ消えたのかな?
    遠鉄バスの待合場所にカシを変えた人もいると思いますが、結構場所争いが激しいみたいですので、体力低下している人はより凍死しやすい場所に追いやられています。救護施設とかもあるんでしょうけど、
    色々規則が厳しいし、文句言われる事を嫌がる人は結局出て行くことになりますので、厳しい冬が続きますね。

  12. 市役所の対応に文句言っていたオバサンが、今度は、浮浪者の資源ごみ抜き取りに抗議する電話を
    掛けてきたそうな。やさしさの欠如というよりも、想像力の欠如という事もあるんじゃないでしょうか?全般的に。

  13. nomad大兄
    >婆さんは亡くなったのですから、結果的に判断を誤ったとは言えるでしょう。
    そやね。
    たしかにオレも言い過ぎました。
    元の新聞記事にあるように「あと一歩」ほしかったとは思いますけど。

  14. 私はこのエントリーのような意見に反対です。
    なぜなら、そもそも行政機関というのは「弱者」を守るために存在しているのでしょう。
    税金は、金持ちの財産権を犯してまでも弱者に対して再分配を行うために
    行政の権力を持って金持ちのお金をしか感じま差し押さえてるはずです。
    だったら浜松市の職員が取ったこの行動はそもども金持ちが稼いだ
    お金を、わざわざ弱者のために差し押さえている行政が行う義務を
    果たしていないと言う印象を受けます。
    行政は弱者を守る大義名分で金持ちの財産権を「公共の福祉」のために
    押さえます。ならば、彼らのこの行動は金持ち達から見て彼らは納得するのでしょうか?
    私は、弱者を守る努力を怠っているように感じます

  15. 以下の2つに、皆さんの意見は類別できるのではないかと感じました。
    1.市の職員は救護する義務がある
    2.市の職員だけに責任を求めるのはおかしい
    この二つは、一見矛盾しそうですが、実はしないのではないでしょうか。
    おばあさんが死んだ瞬間だけに着目すれば、市の職員は確かに救護する義務があり、それを怠ったように見えます。
    でも、それはフルマラソンで言えば最後の2キロのようなものであって、そこだけを見て「チンタラ走っていて情けない」と結論付けるのは誤りだと思います。
    おばあさんの生活が困窮した時点、おばあさんが家を失った時点、路上で体調を崩した時点など、救えるタイミングは多数合ったはずです。それらの責任を冷静に割り振っていかないと、最後に立ち会った市職員が「ババの引き損」になり、本当の問題が見えないと思います。

  16. どうして誰も指摘しないのだろう。
    >よく考えてみてくれ。
    >そういうあなたは、この婆さんを救えたのか。
    >救えたのか?
    >で、どうやったら救えたと思うんだ?
    浜松市の職員として職務上の義務がなされたかが問題となっており、一般市民の倫理上の価値観をもちだすことは論理のすり替えです。
    >そもそも、その現場を見てもいないのに、想像を膨らませたって何の意味があるんだろう。
    この段落で書かれたあなたの意見も、事実に基づかない推測によって書かれています。例えば、?しないだろ。?じゃないのか。?らしいよ、等その他多数。
    >だからさ、ホントにこの婆さんがかわいそうだと思ったら、福祉の仕組みでなんかするようなシステムを提案してくれよ。
    この結論を支える論拠がありません。

  17. だったらお前は救えるのかというのは、その場にいなかったので無理です。そして、それ言い出すと、アフリカで飢えている人はどうだとか話がブレてしまいます。
    ホームレス全員を救うとか事ではありません。抜け出したくて支援してほしいホームレスもいれば、気楽でいいからほうってほしいホームレスもいます。税金をもらっている公務員だからとかそういう事も関係ありません。
    問題は困っている人を助けようとしないと思われる行為をしたからではないでしょうか?
    飢えている人を目の前にして、お湯を入れないと食べられないような物を渡す気の利かない事なのです。たとえ死んでしまうとしてもすぐに口に出来るものを与えればその後の展開が変わったのではないでしょうか? されに言えば4日も食事をしていなければ、胃が食べ物を受け付けない事は容易にわかる事ではないでしょうか? であれば暖かい飲み物を渡すとか、そういった事でもよかったのかもしれません。

  18. 市役所職員への批判はいくつかに分けて考えるべきだと思います。
    1.ホームレスが餓死するなんて福祉制度がどこかおかしい、行政がおかしかったのだ、という意見。
    2.市役所職員は税金で動く公僕なのだから、こういう行き倒れのような場合こそ仕事をしなくてどうするという意見。
    3.単に感情的に、誰かが哀れな死に方をしたからには、誰かが悪かったのだろう、そういうときの役所じゃないのか、という意見。
    4.どうして食事も取れないほど衰弱した人に、「乾燥ご飯」しかあげられなかったのか?という意見。
    nomadさんのが批判が有効なのは1のケースです。
    たけちよさん、sssさん、Roxさんは2ですね。
    pipiさんの紹介した「オバサン」は3。
    だいくまさんは4。ちなみに、私も4に与します。

  19. 浜松市の福祉担当職員は、乾燥米をお湯を提供することもなく、そのままホームレスに渡したんですね。
    普通でしたら、4日間も飲まず食わずで寒い中過ごしてきた人に対し、お湯で戻してすぐ食べられるようにする気持ちが湧いてくるのが当然だと思うんですが。。人として。まさかお湯を沸かす費用も税金でまかなっているから提供しなかったとでも言うのでしょうか。。「人として」当たり前の対応ができない役所。。悲しい話です。。

  20. ニュースの文章そのものから分かることだけで批判する方がいるので、ここの方は今回の記事を書いたのだろうなと私は感じています。
    もちろん、そうやってしか私達は情報を得ることしか出来ないわけなのですが、いきなり批判から始まるのではなく、そこまで関心を持ったのなら、どうして役所がそういう対応になったのか、とかおばあさんは市の職員や救急隊員などに記事である言葉以外に何を話したのだろうか、などと疑問を持ったり調べたりしてみてもいいのではないかと思うのですが。
    同じ情報でも、文章の書き方で印象はとても変わってきます。
    ニュースの文章では、市の対応の批判を煽ることを狙って書いていると感じる文です。
    しかし、このニュースを書いた人が、もし本気でこのおばあさんが亡くなってしまったことに憤りを感じていて、こういったことをもうなくさなきゃ!と思ってこのニュースを書いたのであって、それに同意する人がいたのであれば、ニュースから想像できる現場のイメージの批判をするだけではなく、もっとひとりひとりが動いてくれることを目的としてると思うのですが。
    批判している人も、騒ぎが収まったら忘れるとかではなくて、本当に何が悪いのか自分なりに見極めたなら、行動するべきだと思います。
    批判も、書き込みも自由なのですが。
    「言うのは簡単」なんです。
    このニュースで気持ちを熱くして批判や議論をしても、数日後には忘れているのなら、おばあさんは無駄死にだし、職員がしたことと、してることは同じようなものになると思うんですよね。

  21. 救急隊員が急患と判断しなかった人間がいきなり死ぬと素人の漏れは判断できないと思うので、役所の職員を責める気になりません。無茶だろそれ。
    責めてる人たちは自分より悪人を仕立て上げて何かの溜飲を下げたいんですかねなどと思いました。

  22. >> みなさんへ
    自分のblogのことを日頃「世界で3人のためのblog」と言っていますので、こんなにたくさんの方の関心を集めたのは驚いています。
    その上で、嬉しくも思います。
    皆さんが「不幸な出来事」に出くわしたときに、少しでもその不幸な人に対して力になってあげられたら、嬉しく思います。それはその人のためであり、僕のためであり、おそらくはあなたのためであります。
    僕はこの婆さんを助けられませんでした。
    僕はかつて友人さえ助けられませんでした。
    今も困っている他の友人を助けられてはいません。
    困っている人を見たら、少しでも力になりたいと考えて、自分にできることはやろうと思っていますが、できることは限られています。
    僕は愚かで小さな人間です。
    僕が神じゃないのと同様に、誰も神じゃありません。
    この婆さんがその日死なずにすんだとすれば、たった一杯の120円のココアで良かったはずです。
    そのココアを誰もやれなかった。
    ココアをやらなかったのは市の職員だけじゃない。浜松じゅうの誰もこの婆さんにココアをやりませんでした。
    しかし、浜松じゅうの人が、目の前で死のうとしている人に対してたった一杯のココアを惜しんだと思うのは、現実的な回答じゃありません。
    ただ「気づかなかった」ってことです。
    勝手な想像を膨らませて「非常用の乾燥米」を無情の象徴にするのは、人間としての優しさや思いやりを持ってるって言えるんですか。
    「非常用」なんですよ。災害時の備蓄食料を融通したんですよ。社会福祉課が持ってるもんじゃないんですよ。
    社会福祉課の職員は、この婆さんのために市の高齢者介護施設に入所できないかかけあったんですよ。そしてそれができないとわかると、非常用の食料を融通してもらうように多分、災害対策課にかけあったんです。
    その日一日の食べ物としてではなく、持って帰って食いつなげるように保存がきく食料を渡したとは誰も思わないんでしょうか。
    それは職分を超えた人情の発露だとなぜ思わないんですか。
    そう「思わない」という人のどこに人としての思いやりや情けがあるっていうんですか。
    そう「思わない」人が、不幸な場面に出くわしたときに、どうやって一番正しい手段を「気づく」ことができると思いますか。
    浜松市はずいぶんオヒトヨシな施策をとっていると思います。
    エントリに書いたように、浜松医療センターは医療費の踏み倒しが続いてずいぶん赤字なんです。それでも貧困家庭や外国人の受け入れをしています。
    市のシステムとして人情を優先してると僕は思っています。
    それでもそのセーフティネットからこぼれる人は出てしまう。
    そのこぼれた人を助けようと支援団体ができています。どうやら支援団体はいくつかあるようです。ブラジル系の支援団体さえもあるらしい。
    そうやっても、やっぱりその網からこぼれる人が出てしまう。
    この婆さんは網からこぼれてしまった。
    もっとずうずうしく人に頼れば死ぬことはなかったのに。
    駅でココアをめぐんでくれ、と行きかう人にたかれば死ななかったのに。同じ浮浪者仲間に助けを求めれば死ななかったのに。支援団体にすがれば死ななかったのに。
    救急車に黙って乗っていけば死ななかったのに。浜松医療センターの医療費を踏み倒せば死ななかったのに。
    この婆さんは遠慮してしまった。
    誰かの迷惑になることを、人に助けられることを遠慮してしまった。
    そうやって網の目からこぼれてしまう人は、誰がどうやったって助けられはしないんです。
    しかしそれは「網の目からこぼれた人は死んでください」って言ってるわけじゃないでしょう。そんなことが言えるのは神だけです。
    誰も神じゃない。この職員だって神じゃありませんでした。
    「気づかなかった」と、神ならぬ身を責めるのは優しさや思いやりを持った人のやることじゃないでしょう。

  23. >誰かの迷惑になることを、人に助けられることを遠慮してしまった。
    >そうやって網の目からこぼれてしまう人は、誰がどうやったって助けられはしないんです。
    >しかしそれは「網の目からこぼれた人は死んでください」って言ってるわけじゃないでしょう。そんなことが言えるのは神だけです。
    >誰も神じゃない。この職員だって神じゃありませんでした。
    >「気づかなかった」と、神ならぬ身を責めるのは優しさや思いやりを持った人のやることじゃないでしょう。
    うん、この言い方も謎なんですが、記事の前半部は、「職員は見殺しにしていない」という論調だったのが、中盤で「見殺しにしたかもしれないが、それは市民も同罪」という感じになって、最後には「見殺しにするしかなかったし、どうせ助からなかったのだ」って三転してしまっていると思うのですよ。
    「感情論だけで役所を悪者にするな」、と言うなら感情論だけで役所をかばう記事を書いても、どっちもどっちなので、もっと論理的に書くべきだ、という意見が多くを占めている気がします。
    そもそも、nomadさんの立ち位置と目線が、自分は無力な大衆の一人だと言っているのに、「妙に」役所の肩を持っていると取られても仕方がない面があると思います。
    住民登録をしてないから救えなくても仕方がない、救っても数カ月後には死んでたから助けても意味がない、悪いのは役所でなくてシステムだ、といった事を書いたのは、むしろ職員を貶めた結果になってしまっているのではないでしょうか。
    お父上や友人がそんなことを言った訳ではないでしょう。これでは、援護というより、火に油を注いでしまっていると思います。
    推測ですが、お父上はこういったニュースを聞いたら、「もし自分がその場に居れば助けられたかもしれないのに」と胸を痛めることはあっても、
    >浜松市の職員はそれをやるべきだって言うのかい?
    で、彼らは浜松市民なの?
    税金払ってるかとか浜松市内で働いてるかだとかは言わないよ。せめて住民登録してるの?
    もし浜松市民でない人に、浜松市がサービス提供したら、他の市民に対して不公平なんじゃないの?
    >個人の気持ちでなんとかしろって言うの? なら、浜松市の職員じゃなくても良かったんじゃないの。
    とは思わないのではないかと思います。

  24. > だいくまさん
    このエントリはタイミングが遅れてはいけない、と思ってすぐに書いたものですので、充分に整理されていません。僕自身もその後のコメントのやりとりで、だんだん整理し、言語化していっていますので読んだ人にはわかりにくい点があったと思います。
    僕の立場が「市役所より」なのは、市役所に近親者がいる、ということだけではありません。
    ニュース記事が浜松市役所に批判的な論調を向けていることに対して、反対に市側の視点から見たら何が見えるのかを考えたかったのです。
    だいくまさんの言う「三転している」件は、それぞれ別個に反論をしているつもりでしたが、これはわかりにくかったようですね。
    ・職員は見殺しにした→見殺しにはしていない
    ・市の瑕疵や誤謬が罪→瑕疵や誤謬があるのは市だけではない
    ・助けられたはずだ→助けられないどうしようもないこともある
    エントリ内で行政システムのことを持ち出したのは拙速だったかもしれません。
    だいくまさんが指摘したように、この事故は行政システムの問題ではなかったのですから。

  25. 最近の浜松はそんなにホームレスが増えているんですか。
    自分も7年前まで浜松にいましたが……
    元記事のような「社会派」的記事は、どうも文章通りに受け取れません。
    とくに毎日新聞のそれは、奈良の「病院たらい回し」記事のことがあるから、ジャーナリズムを装った結論ありきの公務員叩きではないかと疑ってしまう。
    実際、記事の視点はアンフェアだと思います。
    元記事はあきらかに『「浜松市の職員は見殺しにした」「人でなしだ」』と読者を誘導しているわけですが、市役所だっていきなり救急車がやってきてホームレス一人置いていくなんてのは想定外もいいとこで、しかもその婆さんが餓死カウントダウンだなんてなんぼなんでも想像の埒外。もちろん救急隊にとっても「病院に行くな」なんて言われて、なら乗せませんというわけにもいかず、じゃあここかなあという場所でおろしたんでしょう。
    あまりにも想定外の事態に混乱しながらも、食べるものがないと言うから市職員はなんとか食べ物を融通したのでしょう。元記事は「なんですぐ食べられないものを渡したのか」と言わんばかりですが、そりゃとりあえず「おみやげ用」に食べ物を渡したんじゃないのか。
    その場にいた市職員は精一杯の配慮をしたはずで、誰であれ、突然運び込まれた餓死寸前のホームレスに対して、それ以上の判断ができたとは思いがたい。
    なのにどうして「あと一歩踏み込めなかったのか」などと、したり顔で非難するのか。
    誰が悪いってんじゃないですが、自分個人としては、浜松みたいな働き口もケアもある街でそうなるなら、なるべくしてなったんじゃないの、と思うのです。
    さも「社会の病理」みたいに報じたところで、人知れず餓死凍死してゆくホームレスなど都市部には毎日数えきれぬほどいるんですから。

  26. はじめまして。
    読み応えありますね。
    私は市役所の方々は考えられること(気付いたこと)の最大限は行ったんじゃないかな?と感じています。
    その場にいないから断言はできませんが
    救急車から自分で歩いて降りてきて、話もでき、
    救急隊員と同様「急患ではない、食べ物に困ったホームレスのお年寄り」として認識していたのなら
    乾燥米くれたり、老人福祉施設に入所できるよう掛け合ってくれるなんて(市民かどうかの確認をおいといて)福祉に携わる方として充分考えられる対応かと思いますよ。
    (比べちゃいけないけど、うちの自治体で食料くれるなんて聞いたことがない)
    今回の非難は
    ・死なせてしまったこと
    よりも
    ・役所の対応が無慈悲だったこと
    のような「市役所叩き的」印象があります。
    取り囲んで足蹴にするとか、早く立ち去れと言わんばかりに追い立ててたら、そりゃぁ非難されるでしょうが
    取り囲んで心配してたんでしょ。
    無関心の中ひとりぽっちで置き去りにされてたんじゃないでしょ。
    救急車も呼んだんでしょ。
    私だって傍らで心配することしか出来なかったかもしれない。
    目の前で死なれたら落ち込みます。
    さらに非難なんて、苦しいなぁ・・・
    結果として、ただ一つ言えるのは
    お婆さんの死が無駄死ににならないように、これからに生かすことですかね。
    非難だけにとどまらず「提案」をするのが市民の役割。
    どんなに改善して「やることは全てやった」と思っても
    非難は尽きる事がないとすれば
    それは非難する側に責任とか自覚がないからなんでしょうね。
    想像力のないところに思いやりもない言いたい放題、みたいな。

  27. たとえそれがホームレスであろうと、目の前で死にそうになってる病人と、地下道で生活してるホームレス。
    地下道で暮らすホームレス達を救済しないからといって、目の前で死にそうになってる人を見殺しにした人たちを攻められないなんてとっても変な話ですな。
    両者を同列に扱う時点で変だと思わないんですか、そうですか。
    今回非難が集中してるのはまさにその事なんだと思うんですがね。

  28. 地下道で生活しているホームレスはこの寒空の中、明日には目覚めずに死んでいるかもしれませんね。
    今にも死にそうな状況で放置されていると思いますよ。
    座って寝ているように見えて実は…
    同じ、とは言えないにしても同等だと思いますけどね。
    悪人を仕立てることで、自分は悪人ではなく、老人の死に心を痛められる善き人だ、と安心したいだけですね。

  29. 直接この件とは関係無いんですが
    日本ではすぐに「国が」「自治体が」「政府が」と言うくせに税金を上げるのは反対、反対、大反対。
    大きな政府を目指して税金を上げるのか小さな政府を目指して税金を下げるのか、いいとこ取りは無理と言うことに何時になったら気付くんでしょうかね。
    今の団塊の世代達のツケで莫大な借金が残りにっちもさっちもいかなくなっているのに、平気で叩ける人に激しい怒りを覚えます。
    (TVのインタビューでそういう人よく見ます)

  30. 浜松市役所の大部分の人を非難するつもりはない。
    事情を何も聞いていない職員にとっては市役所の敷地内で食べられないご飯を抱えたホームレスが寝ていても、迷い込んだのか程度にしか思わないし気にも留めないだろうから仕方ない。
    だが実際に応対した人間を非難するのはおかしいことだろうか?
    道を歩いていてホームレスを意識もしないことと、明確に助けを求めて連れてこられた人への対応を同列に語ってよいとは、とても思えないのですが。

  31. 記事を読む限り「明確に助けを求め」られたのは救急隊であって、市役所職員ではないようですが(救急隊が伝えたと思いますが)

  32. 半端な書き込みだったので反省。
    別に茶化したいわけではないので。
    その場ではいろいろあったんだと思うんですよ。
    「何とかしないと」という焦りや、「やっても良いのか」という迷いなどが。
    それは記事に出ている警官や救急隊、守衛や市役所職員、また記事には登場していない一般市民など。
    で、その結果残念ながら、そうなってしまった、ということに対して、その場にいない人が憶測で非難するのはどうかな、と思います。
    助けられれば良かった、とは思いますが、その場にいた人を非難出来るか、するのか、というとそれも違うのではないかと。

  33. >> 皆さん
    たくさんのコメント、ありがとうございます。
    はてブでは「これはひどい」のタグがずいぶん多かったし批判的なはてブコメントもあって僕も凹んでいたのですが、(自分のblogを開くのをためらったのは初めてです)理解を示して下さる方がいて、ほっとしています。
    こうやって皆さんの意見を見ながら自分のことをたどってみると、僕が浜松市の職員に同情的な意見を書くのは、どうやらこの職員に自分を重ねているからのようです。
    僕は友人を二人亡くしています。
    彼らが「瀕死の状態」だったと僕は気づきませんでした。
    僕は彼らにココアさえ恵みませんでした。本当は電話一本すれば彼らは死ななかったかもしれないのに。電話一本の長話をするだけですんだかもしれないのにねえ。
    僕は二人の友人が死ぬなんて思いもしませんでした。ですから実際の現場でこの婆さんを「瀕死の状態」と誰もが見抜くことができるのか、僕は疑問に感じています。
    救急隊員さえ気づかなかったのですから、保健師も社会福祉課の職員も気づくのは難しかったでしょう。救急車から自力で降りてきて受け答えもしていたという先入観があって、容態が急変したことに気づくのが遅れたのかもしれません。
    市の職員を非難する人は、「明らかに目の前で死にそうだとわかっている」ことを前提に話しているようですが、そう非難する人自身がその現場に立ち会って、それを感じ取れるとは僕には思えないのです。
    「非常用の米」の意味に気づかぬ鈍感な人が、婆さんが必要なものを真っ先に敏感に感じ取れるとは思えません。
    ボランティアの支援団体の人さえ、この婆さんを助けられませんでした。しかし支援団体を非難するのは馬鹿げたことですよね。彼らの善意を疑い、「遊びでやってんのか」と届かぬ能力を非難するのは不合理です。
    「気づかなかった」「足らなかった」「間に合わなかった」ことは、たいへん悲しむべきことです。
    しかし、悲しみを怒りに代えて行政を非難し、こきおろすことで、何か自分が善意の輪に参加したと錯覚しないでほしいのです。
    自分自身の鈍感さに気づき、行動を起こしていなかった自分に気づいてほしいのです。

  34. 本来なら知人であるnomadさんの援護側に回りたいところを再三、反対意見を述べていて心苦しいのですが、やはりそれでもおかしいと思う面が多々あります。
    「自分と職員を重ねて見て」いて、「自分自身の鈍感さに気づき、行動を起こしていなかった自分に気づいてほしい」という自責の念があるなら、なぜ職員をかばうのでしょうか?
    その文脈で職員をかばうというのは、同罪である「行動を起こしていなかった自分」もかばう事になる気がします。
    「市民も職員も何もしなかったから同罪だ」の後に、「職員は悪くない」と続けたら、同罪である市民も悪くないし、誰も反省しなくて良いという事になってしまうのではないでしょうか。
    「誰かを悪者に仕立てたら、そこでこのお話はオシマイ」かも知れませんが、「誰も落ち度はなかったからしょうがない。今後はみなさん気をつけましょう」という意見でしめくくっても、校長先生の朝礼のような無内容な結論になると思うんですよ。
    そして、nomadさん自身も、鈍感さが人を死にいたらしめる例がある、それに気付くべきだと主張しているなら、「職員が瀕死だと気付けなかったから
    責められない」というのも変ではないでしょうか。「気付かない鈍感さ」こそが責められているのですから、話が堂々回りになってしまいます。

  35. 補記
    婆さんと一緒にするな、と言われるかも知れませんが、昔、死にかけている野良猫を見つけたことがあります。
    車にはねられたらしく、どう見ても助かりませんでした。
    私はどうするか迷いました。一思いに楽にしてやろうかとも思いました。が、結局はその猫の死も生も、その猫が自分で選んできた自由意志と選択の結果であり、その尊厳を他人が立ち入って左右すべきではないと思い、道路から草の中に移すだけにしました。
    婆さんも、そういう意味では別に「かわいそう」では無いし、勝手に憐れまれるのも迷惑でしょう。
    彼女は、幸せそうな家に火を放って暖を取ることも出来た。それで警察に捕まれば、暖かい布団と食事にありつくことが出来た。
    そんな大それた事でなくても、万引きして捕まるだけでも一冬越せた。医療刑務所にも入れたかもしれない。しかし、彼女はそういう事をしなかった。その結果、死んだ。
    拡大解釈すれば、婆さんは「我々」の社会を傷つけて生きることより、自死を選んだ人だった。彼女は我々の代わりに死んだとも言えます。
    ホームレスだらけの地下道を歩けるのは、彼等がナイフで「我々」を殺して金品を奪おうとしないからです。外国のスラムとかだったらそうなってもおかしくはない。
    「我々」は「彼等」に、上から手を差し伸べたり、憐れむという上から目線で、隔絶したものとしてとらえていますが、本当はどちらが優位ということもなければ、その境界すらないのが実際だと思います。
    もし、思いやりや優しさというものが、相手の身になって考える事なら、「死にそうな友人に手を差し伸べる側の人間」とか、「役所の職員」といった、境界を作って外側から関わる人間にシンパシーを抱くこと自体がちょっとズレていて、自殺しそうな友人、死にそうな婆さん本人に自己を投影しなければ意味がないと思います。
    そのズレが、乾燥米を渡すとか、そういう歪みとして出てきているのではないでしょうか。

  36. >> だいくまさん
    僕は、誰かを悪者にすることが「鈍感さに拍車をかける」から、やめた方がいいと考えています。
    自分自身が鈍感な身であることに、少なくとも自覚しておくべきだろうと。
    鈍感だと気づくから気配りを心がけるようになるんじゃないかと思います。
    市役所の職員を糾弾し、職員が敏感になることに期待するよりも、むしろ僕たち自身が弱者であり、あるいはいずれ弱者となるときのために、人に対するべきだと思います。
    哀れむとか助けるとかいうことでなく、人の親切はなによりもありがたく、親切にした方も心が満たされるものですので。

  37. blog主の行ってる事ってそんなに難しいことじゃなくって、みなさん寝てる状態の人と死に行く人ってそんな簡単に見分けられるんですか?
    さすがに目を見開きながらとか、手をパタッて落とすような演出でもあればわかると思うけど
    多分今回も横たわって、目をつぶってただけじゃないかなぁ。
    そんな状態の人を前にして「あれ、この人もしかして死にそう?でももし違ったら・・・」って普通に逡巡すると思うのだけれど。

  38. ほかにどうしようもなかったという事例に対して「誰も悪くないはずはない、誰かは落ち度があったのだ」と非難するのは、「誰か(だけ)は反省して責任をとれ」という理不尽な追求に直結するうえ、「責任をとった」ら「万事解決」とされてしまう危険すらあります。
    そのようにしてジャーナリズムをはきちがえ、悪しきポピュリズムと化した例が、昨今の産院叩きだと思います。
    市職員はおそらく、社会一般的な基準で鈍感ではなかったと思います。
    だから常に思いやりを、社会道徳が大事なんだね。というのは毒にも薬にもならぬ話かもしれませんが、それはどれほど陳腐に聞こえるとしても、やはり否定したり斜に構えて良いことではないということでしょう。

  39. 【お婆さんに対する対応は、悪意なんてこれっぽっちもなかった。むしろ善意で、その善意が届かなかった、気付くのが遅かったんだ】と考えてる人は少数なのでしょうか?
    >「自分自身の鈍感さに気づき、行動を起こしていなかった自分に気づいてほしい」という自責の念があるなら、なぜ職員をかばうのでしょうか?
    わたしだったら、私自身がまるで鈍感で職員ほど気働きができなかっただろうと思うんです。
    あの場に居合わせたらそれ以上のことが出来たか・命を救えたかなんてまるで自信がない。必死ですけどね。
    だから、気付いて最大限考えられる事に対応する努力をし、行動した職員を責めるのは酷で、かばいたくなるのも分かる気がします。
    「努力が届かなかった」職員を
    普段鈍感で、無責任に言いたい放題の大勢(これはおおげさかな)が
    「届かなかった」を「悪かった」にすりかえて非難して、たぶん自分は相対する「善い」側に立っているんでしょうけど・・・
    意外と同じ側だと思うんです。
    それこそ自分の鈍感に気付いていないだけで。
    後になって自分だったら助けられた・こんな対応しなかったって考えられても
    その時々に最善を瞬時に判断して結果を出すのは難しいです。
    鈍感を自覚してさらなる努力しかないと思うんですが。
    声高に非難する方々はみんな能力高いのかな?

  40. 職員をかばうのか、職員を非難している人間を制するのか、どちらか一方だけを書けば、多分こんなに荒れなかったんでしょうね。
    「だったらお前はどうなんだ」と、いう風に二つの話をくっつけたから、問題のすり替えのように取られるのだと思います。
    ぶっちゃけ、ヒットラーが「ユダヤ人差別は良くない」と言ったらそれは間違いかと言えば、内容自体は正論でしょう。
    発言者の人格と意見の正誤は無関係だし、何一つ罪を犯していない人間だけが社会に意見を言う資格があるというなら、nomadさんも含めて、この世界で誰も発言なんかできない。
    出来ない奴は文句を言うな、という事であれば、野球解説者はプロ野球選手以上に野球が上手く、料理評論家は三ツ星シェフより料理が上手くなければ批判の資格はないことになってしまう。
    しかし、実際には、小学生にも先生の書き間違いを指摘することは出来るし、「実際見殺しにしてしまった人」と、「その場にいなかった人」を比べれば、『だったらお前はどうなんだ理論』で同じ土俵に乗せてしまえば、むしろ一方的に非難されても仕方がない面もあると思います。
    少なくとも、職員を批判している人間たちは、実際に誰かを見殺した訳ではないのだから。
    自動車事故でうっかり過失で人をひいてしまった。同じシチュエーションだったら誰が運転者でも事故を起こす可能性がある状況だった。それは偶々だったのかもしれない。
    じゃあ、人が死んでいても、ひいた人は悪くないの?居直ってもいいの?ということじゃないですか。

  41. >> だいくまさん
    僕はこのコメント欄が荒れているとは思っていません。
    僕は職員が見殺しにしたとは思っていません。できることはしたが間に合わなかった、と受け取っています。
    僕の目的は職員をかばうというよりも、職員を叩くことで自分の鈍感さを見逃してしまうことが問題だと思っています。
    だいくまさんが言うように、例えば交通違反をして免停になってタクシーに乗った者が、運転手に「信号は赤だぞ」と注意を促すことは大いにあり得るでしょう。
    個々の対応に対する提言として「どんなことができたか」「どんな手順を踏むべきだったか」「行政はどのようにあるべきか」など方法論について意見を出すことは良いことだと思います。
    悪玉を設定して叩くことと、建設的な意見を積み重ねるのは別の行為でしょうね。

  42. その意味では、職員を批判する人間を攻撃するのも又、自分の反省や次の機会に教訓をつなげるという事にならないのではないでしょうか。

  43. >> みなさん
    たくさんのご意見ありがとうございます。
    個別に返事を返していませんが、tokoさん、40さん、RKさん、komekomeさん、kuさん、サルガッソーさんらが僕に同意してくれたことにはほっとしました。同じ意見同士を褒めあってもバイアスがかかるばっかりですので、あえて意見交換をしていませんが、これを読んでいる他の方々にも参考になると思います。
    この問題を扱っている他のblogでは、浜松市の職員を叩いている論調も多くあり、コメント欄の中では僕のような意見の人が激しく非難されている所もありました。
    僕のエントリはエモーショナルな調子で書いていますので、うっかりすると炎上ということもあり得たかもしれません。幸いなことに今のところ管理できる範疇に収まっているようでありがたいことです。
    僕は新聞記事を元にこのエントリを書きましたが、実際の状況は僕が思っているよりも酷かったということもあるかもしれません。
    その時には僕も市の対応を非難すると思います。反省させるために。
    しかし、断片的な情報を元に、印象だけでただ叩いても、何を訂正していけばよいのか、建設的な提案はできないでしょう。
    僕はこのエントリを、ひと時のカタルシスではなく、喉につっかえたままの問題として、考え続けるために書いたつもりです。
    こうした問題を考え続けることで、僕であれ誰であれ、何か得られるものがあり、社会のためになれたら良いと思います。

  44. >> だいくまさん
    僕は職員を批判する人間を攻撃しているのではありません。
    注意を促しています。
    とっさの時に「赤だ!」と大きな声で叫ばなければ、相手は気づくこともないでしょう。

  45. 私は、nomadさんはこの事件に批判的な人を、「悪玉を設定して」「叩いているだけの」「鈍感な人」というステレオタイプに括っている感を受けましたし、「こんな事件が起きると誰かを悪者に仕立てて溜飲を下げようとする連中」というような言い回しは、注意ではなく、感情的攻撃だと思いました。こう言われて、そうか俺も反省しなくちゃな、と思える人間はなかなかいないと思います。
    そして、ちょっと嫌な事を言ってしまう事になりますが、「大切なのは建設的な意見を積み重ねる」ことで、役所を批判することではない、という主張の向こうに、反省と自己批判ではなく、役所を自分に投影しての自己弁護、言い訳、無力さという免罪符を使った責任回避的な印象を受けてしまいました。
    本意ではないと思いますが、「こういう事故で責任を追求しちゃうと、逆の立場に立った時、自分が責められちゃうから黙っておこうぜ」というような保身、隠ぺいとも取れてしまうのです。
    実際、全く役所と自己を重ねずに、関係ない人間が事件の概要だけを聞いたら、
    「できることはしたが間に合わなかった」
    「たとえ今、倒れてる婆さんが食いつないだからって、何ヶ月かしたら、このままじゃ婆さんはやっぱり路上で死んだ」
    「せめて住民登録してるの?
    もし浜松市民でない人に、浜松市がサービス提供したら、他の市民に対して不公平なんじゃないの?」
    という意見はちょっと出てこないと思います。
    私は、やはり役所に非難されるべき点はあったと思います。
    むしろ、これで非難されず、良しとするなら、自分が同じ立場であっても誰からも咎められず、その鈍感さを改めることもなくなるだろうと思うからです。

  46. 荒れてもいないし、炎上してもいないし、すごく濃い討論の場になっていますね。
    こんなに真面目に、真摯な意見を引き出せるのは羨ましいほどですよ。
    初心に返って確認したいのですが
    役所の方を非難する方々は、【ダメ役人】どまりの主張ですか?それとも最終目的は「もっと優しくすべき、次は必ず救うべき」なのでしょうか?
    後者であれば、反省や教訓にスムーズにつなげられるような働きかけが有効で、
    「認め」の部分が完全に抜けてしまった「非難」だけだと効率の悪いやり方と言えます。
    個人レベルの感情で言えば世論にびくびくしながら(また叩かれたくない)の気配りと、
    自主的に目的意識を持った気配り・行動では違うと思うんですよね。
    例えば役所君たちがテストで50点取った。
    100パーセント非難では落ち込むばかり。
    中にはまたママに怒られるのは嫌だから、頑張る子もいるが。
    別のママはまず50点できたことを認める。そして次にもっといい点を取るにはどうしたらいいのか冷静に一緒に考え提案する。
    目的に直結して市民の暮らしを良くするやり方が「非難」とは言いがたいですよ。
    ついでに、ママが怒り狂って非難に終始しないように諭してるのが、我が子に自分を見ているnomadパパさん。
    パパの注意の仕方もママに対してキツイ、孫の役所に甘いと言ってるのがだいくまじいさん。(勝手にじいさんに設定してごめんなさい!)
    テストに例えられるような軽い話ではないのですが、なんとなく。
    「反省する余裕は与えるべきだが、開き直る余裕は与えるべきではない」のかな。
    何事もさじ加減が難しいです。

  47. 想像力を発揮する以上は自己投影をしなければならず、元記事が「対処を誤った」と主張しているのだから、「ではどうするべきだったのか」を考えるのなら投影の対象は対処する側以外にあり得ないと思います。
    「市役所をかばっているから問題がないように見えるのだ」ということではないのでしょう。
    自分としては市職員の「過失」でも「見殺し」でもなく「非難されるべき責任」など誰にもないと思いますし、安易に責任者を設定するのは「まったくひどいヤツがいるものだ」で完結する危険があるから、賛成しません。
    不適切な例だとは思いますが交通事故にたとえれば、まず事件にならないか、なっても不起訴。それで終わってしまい、それ以降に何ももたらさないでしょう。
    問題を見いだすとすれば社会全体、ひとりひとりが認識をあらたにすべきなのだ、となります。陳腐に聞こえても遠回りに見えても、我々にできることはそれしかない。ただ手段をいろいろ考えねばならんのでしょうね。

  48. >だいくまさん
    批判している方を大きく分けると
    「人間として駄目だ」と
    「役人として駄目だ」の2種類に分けられると思います。
    「役人として駄目だ」とおっしゃる方向けに市役所のサービスを受ける資格があるのかと言っているのでしょう。もちろん市内にいるだけでサービスの対象になりうるという意見もアリだとは思いますが。
    そして
    >少なくとも、職員を批判している人間たちは、実際に誰かを見殺した訳ではないのだから
    のように「人として駄目だ」といってるひとに対しては、
    あなたは今までホームレスを見過ごしたことはありますか?
    そのホームレスが死んでいないとどうやって確認しましたか?と聞いているのです。
    もし気づかなかったのなら立場は同じだと思うのですが。
    批判している人たちがそれぞれの立場を都合よくやりくりする方がよほど論理のすり替えだと思います。

  49. たびたびすいません。横から。最後にだいくまさんの
    >出来ない奴は文句を言うな、という事であれば、野球解説者はプロ野球選手以上に野球が上手く、料理評論家は三ツ星シェフより料理が上手くなければ批判の資格はないことになってしまう。
    と言うところに反応して書かせてくださいね。
    出来ない奴は文句を言うな、とは全く思いません。野球が出来なくても、
    「今のお見合いは声掛け合ってたら、アウトだったよ」とか
    三ツ星シェフの料理を食べて、自分は料理の腕が並み以下でも、
    「ちょっと塩辛い」
    そんな感想や、もっとこうしたら良いという意見は当然言えると考えています。
    実際試合を見ていない一流プレイヤーの評論家より
    その料理を食べてもいないスゴ腕の料理評論家より
    言い得ていると感じます。
    その場を実際に知らない断片的な情報の場合だったら・・・
    憶測だけでは批判の資格はないと思います。
    知らない奴は憶測で文句を言うな、に近いかな。
    でも、知らないなりに情報を熟読して、想像し自己投影して、考えを述べることはできる。
    その述べる目的が「改善」だったらいい。ともに悲しみ、残念に思い、これからどうしたらいいのか、具体的な提案をするなり。
    私が無力だから、職員を非難しないのではありません。考えられることをやった、努力したと想像できる行動が読み取れたからこそ、その部分を認めて、あとは改善点の提案だから、非難はしないです。
    非難が有効策とはあまり思えないし。
    非難に終始し、届かなかった努力や善意を全くなかったものと切り捨てられたらやりきれないでしょう。だからかばっちゃう、かな。
    (頑張っても50点だった役所君のように)
    かばっている、と問題なし、は違いますね。
    努力は認めた上で、どこが足りなかったのかこれから問題(例えば福祉システム)を解決・改善していこう・・・ですね。

  50. 名指しのコメントにレスします。
    >サルガッソー さん
    >あなたは今までホームレスを見過ごしたことはありますか?
    そのホームレスが死んでいないとどうやって確認しましたか?と聞いているのです。
    もし気づかなかったのなら立場は同じだと思うのですが。
    同じだから、等しく職員も民衆も責められ、反省すべきだと主張しています。
    01月22日 00:12のコメントを御覧ください。
    >komekomeさん
    >憶測だけでは批判の資格はないと思います。
    知らない奴は憶測で文句を言うな、に近いかな。
    >私が無力だから、職員を非難しないのではありません。考えられることをやった、努力したと想像できる行動が読み取れたからこそ、その部分を認めて、あとは改善点の提案だから、非難はしないです。
    この事件について何か書いている人は、全てほぼ同一のソースの同じ記事についての感想を書いています。
    それが「憶測」であるなら、nomadさんの主張も、komekomeさんの主張も、「憶測」でしかないと思います。
    職員が「努力したと想像できる」ことと、憶測の違いも無いのではないでしょうか。
    新聞記事についてブログで意見を書く場合は、現場に行って新聞記者以上の取材をしていないなら意見を言う資格がない、ということでしたら、事実上、警察官や検事くらいしか発言権は無いと思います。
    私は、「こんな事件が起きると誰かを悪者に仕立てて溜飲を下げようとする連中」にあたる、批判的な記事を書いている人間全員のブログなどに目を通す気はないですが、それらの意見の全てが間違っているとは思いません。
    逆に、nomadさんの意見全ての意見に反対ということでもありません。
    人格と発言内容の正誤は無関係である、書きましたが、それは、同じ人間の文章内でも部分的に正しい箇所もあれば、おかしな事を言っている箇所もあるという事です。
    ならば、「役所の人間」という実体の無いイメージで出来た集団を憶測で批判するのがおかしいように、「役所を叩くだけの普段はホームレスを無視している鈍感な人」というのも、実際にそういう人がいた訳でなく、勝手にイメージを膨らまして作った、それこそ「仕立てられた悪者」でしかないのに、それを攻撃するのも、やってることは大差無いと思います。
    同じ理由で、「職員は悪くない」「すべて善意だった」というのも、虚構だと思います。
    悪くない職員もいたかもしれないし、
    少し悪い職員もいたかもしれないし、
    大幅に悪い職員もいたかもしれない。
    すべて善意だったかもしれないし、
    何割かの善意だったかもしれないし、
    善意は無かったかもしれない。
    同じ人間でも日によって気分で、人助けをすることもあれば、殺人を犯すことだってある。ましてや、職員全体が、同等に親切で、同等にこの問題を真剣に考えて対処した訳ではないでしょう。
    同情すべき部分もあれば、非難されるべき部分もあるのが当たり前で、何もかも白か黒かで分けて、「職員は悪くない」「すべて善意だった」と、一括してしまうなら、やっていることは「分かりやすい悪者を仕立てて叩く」のと同様の発想でしかないと思います。

  51. >だいくまさん
    遅い時間にもかかわらず、横から出てきた私にお返事していただいてありがとうございます。
    >職員が「努力したと想像できる」ことと、憶測の違いも無いのではないでしょうか。
    この点については、主に事実に着眼した場合と、書き手の感情的な誘導にも着眼した場合に違ってくるものだと思っています。だから情報を熟読して・・・と書きました。熟読すれば何が行われたのか、また行うに当たっての伏線は見えてきますよね、事実として。
    書き手の感情抜きに事の流れを追ってみて、その上で自身のブログに考えを載せるのは構わないと思いますよ。
    何を持って努力と判断するのか・善意と判断するのかは、個人の経験によっても分かれてくるかもしれませんね。
    もっと親切にあれこれ対処するのが規定で決まっていて当たり前の自治体と比較する等、またそうした環境に置かれた方なら(・・・日本では、大差ないと思いますが)
    「なんて人でなしだ!」「善意のカケラもない」という感想を持つかもしれません。
    でも、次は書き手としてそれだけで終わることでいいのかな?と思うんですよ。
    非難だけでは遠回りに思えるんです。
    さらにネットの世界ってどうも煽りぎみなところもありませんか?感情だけで書き捨てる方も目にした事があるので・・・
    記事には言葉になっていないことがたくさんあって、その部分の真実はわからない・・・これはおっしゃるとおり仕方のないことだけど、私は少なくとも読み取れる事実から判断しました。
    言葉になってないところも含めて「役所君50点」と述べた訳です。
    0点で黒、100点で白とは言い切れないし、改善(提案)の余地があるので。これは同意見ですよね?私も一くくりには考えていません。
    マニュアルか個人の善意かは定かでなくとも
    お婆さんのためにその日動いた方がいる事実に、認めるべき点を見ただけなのです。
    で、非難だけでは目的に向かうのは非効率だと考えています。
    黒だ!と言う人たちを悪者にしてる訳じゃないですよ。まず事実を冷静に見てほしいとは思いますけど。
    長いなぁ~同じ事の繰り返しでわかりにくかったらごめんなさいね。

  52. だらだらと書いてしまってすみません。
    >「職員が瀕死だと気付けなかったから責められない」というのも変ではないでしょうか。「気付かない鈍感さ」こそが責められているのですから、話が堂々回りになってしまいます。
    nomadさんのおっしゃる「気付かない鈍感さ」を【克服する】ことって、「誰もが瀕死だと気付ける医療の知識を持って救う」ということではなくて、
    「非難(悪者扱い)に終始してるだけでは解決にならないことに気付いて・建設的に具体的に方法を提案することで救う」ということでは。
    職員の行動を全否定して非難するだけでは何も進歩しないことに気が付かない=鈍感ということですかね。
    悪者にして叩くのに夢中になっていれば、冷静にこれからどうしたらいいのかまで考えが及びにくくなる・・・それが鈍感に拍車をかけることだと私は理解しました。
    「役所君」を頭が悪い奴、で切り捨てるのと同じ(まだ言う・・・笑)
    記事にある実際の行動と合わせ、「見殺しにした」「ひとでなし」には当たらないと判断でき、
    目的に立ち返って見た場合も、非難のみでは改善に有効な手段となりがたいと言えるのではないでしょうか。

  53. 長いので二分割します。
    >komekomeさん
    あなたは非常に優しい方、心の澄んだ方のようなので、こういった意見を書くのは心苦しいのですが、私は「熟読」することによった、かえって善意を疑うことになった気がします。
    まず、救急車が呼ばれたり、誰かが支援団体に連絡したということは、初見でバイタルサインに危険信号が灯っていたのは明白だったと思います。
    救急車が出動した後、何も問題がない場合は、そのまま帰るのが普通でしょう。
    病院には本人が行きたがらなかったが、どこかしかるべき施設に収容しなくては生命に関わると、救急職員は判断したのだと思います。
    つまり、「死なないと思った」というのは嘘だと思います。それを裏付けるであろう疑念を書きます。
    救急車が、こうした身元不明の人間を乗せるというのは過去に例が全くない訳ではないでしょう。
    恐らく、マニュアルとして、役所に運ぶというのが次善の行動としてあったのだと思いますし、アポ無しで行ったのではなく、これから、かくかくしかじかの事情の人間を運びますから、受け入れ態勢を作って下さいという連絡は入れていたと思われます。
    先日、まったくの民間の営利団体である病院が、全盲の糖尿病患者を、無一文で問題行動が多く、いつまでたっても退院しないので、公園に連れ出して放置した「事件」がありました。
    彼等はボランティアではなく、商売でやっているのだから、そういった人間を養う義務はないはずです。
    しかし、それを行った職員は、「保護責任者遺棄容疑」で送検されました。赤の他人であっても、放っておけば死ぬ、一人では生きられない人間を放置した場合、罪になるのです。
    役所は、おそらく、こういった事情、法律を知っていたのだと思います。
    まず救急隊の連絡を受け、「ぞろぞろと何人も職員が集まって」、「市の高齢者介護施設に入所できないかかけあった」り、「非常用の食料を融通してもらうように多分、災害対策課にかけあった」りしたとして、それだけ複数の人間が関わってして、なぜ、誰も、『とりあえず中にお入りなさい』と言わなかったのかというと、全員が鈍感で気付かなかったから、ではなく、統括する上司が「入れるな」と言ったからでしょう。
    救急車からの受け入れを拒否すれば、非難の的になる。
    かといって、中に入れてしまえば、それが前例となって、役所がホームレスの避難所になってしまうし、通常業務に差し障る。
    そんな調子でどんどんホームレスを運び込まれて、全員に食事と寝るところを供給するのは無理だろう。
    ではどうしよう。敷地内ではあるが、施設内ではない、門前に放置するのが得策だろう。
    これなら、受け入れ拒否ともいえないし、保護責任も問われないだろう。
    以上は想像と言えば想像ですが、こういった考えが無かったとも言い切れません。それは、乾燥米にも言えます。
    「その日一日の食べ物としてではなく、持って帰って食いつなげるように保存がきく食料を渡したとは誰も思わないんでしょうか。」
    と、nomadさんは書いていますが、おみやげを渡すということは、つまり、最初から門前払いにするつもりだったということです。帰る場所もなければ、お湯も湧かせない環境の人間なのは、救急隊員の説明と外見から判別できたろうに、です。
    職員だってお茶くらい飲むでしょうから、ポットにお湯もあったでしょう。しかし、乾燥米だけを渡したというのは、絶対に役所の中には入れませんよ、という意思表示に思われます。
    もっと言うなら、死ぬなら役所の外で死んでほしい、仕事を増やさないでほしい、という拒絶だと思います。
    これは、かなり意地悪な見方ですが、この一連の流れの中に、「善意」が何割あったかは、当事者にしか分からないでしょう。

  54. 上の続きです。
    ここのところ、あまり私ばかりが書くことでブログジャックのようになってしまっているので、これで書き込みは最後にしますが、最後に三点、意見を書かせていただきます。
    一点は、何度も繰り返しになりますが、先生に叱られた生徒が、「太郎君だって掃除をさぼっています」と言うような論理(?)は、何も正当化してないですよ、ということです。
    太郎君が掃除をさぼっていたからといって、花子さんもさぼっていい訳ではなく、太郎君も花子さんも等しく怒られて、等しく掃除をすれば良いだけではないのですか?
    太郎君がさぼっても怒られてないから、花子さんは掃除をしなくても叱られないというのは、やはり何回聞いても納得のできる話には聞こえません。
    もうひとつは、前半で、他の方も言っていますが、大衆がホームレスを無差別に救済していない、ということと、役所が助けを求めている人間を見殺すのって本当に同列の問題なのか?ということです。
    そもそも税金とか福祉の成り立ちって、「俺たちは働くだけで手いっぱいだけど、働いて稼いだ分、税金を払うよ。その金を失業保険や生活保護や、介護保険や福祉活動にあてて、公務員の人は、俺たちの代わりに、弱い人間が泣かないですむ良い国を作ってくれよ」って話ではないのかと思います。
    その意味では、大衆がホームレスを救済していないかと言うのも言い切れない問題だと思うし、役所には救済する義務はあったと思います。
    実際、生活保護を受けている一人暮らしの老人がいれば、役所は福祉事務所と連絡を取って、民生委員を派遣して、生死や健康を時々チェックするように計らったりするのも業務の内なのですから。
    最後に、
    『ですが、救急隊員以上のスキルと経験を社会福祉課の職員が持っていない限り「正しい判断」はできませんよ。』
    というnomadさんの弁護にも頷きかねます。
    社会福祉課には恐らく、社会福祉士、相談員をはじめとするソーシャルワーカーのエキスパートが居たはずだし、こういった問題では、搬送したり応急処置しかできない救急職員より、彼等、職員のほうが対処法を心得ているからです。
    私はヒラのペーパー介護福祉士ですが、母はケアマネージャーと社会福祉士を持っています。
    母は、近い事例の際に何度も対応していますが、真っ先に体温の確保、栄養の補給、緊急入院などの手配をしていたのを見知っています。
    病院に行きたがっていないから入れない、のではなく、心を開かせ、信頼を得て納得してもらうのまで含めて、介護であり、福祉であるからです。
    心以前に、物理的に門を閉ざした。中に入れなかったという一点だけでも、私は50点もの点数はつけられません。本当に、紙と手続きの上だけでは落ち度のない対応、それ以上でも以下でもない対応かな、としか思えません。
    まあ、以上が「悪者に仕立てて叩くだけの鈍感な人間」からの意見です。

  55. >だいくまさん
    やだなぁ、心が澄んでるなんて言われたらほれちゃうじゃないですか(笑)
    それとブログジャック・・・ですね、私も反省して終わりにします。
    上記を読んで、「はじめから門前払い」というのは私には想定外でした。イレギュラーな事態ゆえ、迷いがあった中での行動だと考えていました。
    で、真実はすべてだいくまさんが述べたとおりと仮定しての話なんですが
    >中に入れてしまえば、それが前例となって、役所がホームレスの避難所になってしまうし、通常業務に差し障る。
    >統括する上司が「入れるな」と言った
    人としてじゃなくて、役人として・組織としての理由ですよね?
    通常業務に差し障って困るのも、上司の命令が絶対なのも役所という組織の人間だから。
    だったら通常業務に差し障らないような体制や環境を準備しようよ、
    新たに作れないならもっと連係を強めようよ、
    助けを求めて連れてこられた方に必要な処置を迅速に施せて
    だいくまさんのお母様のように
    心を開かせ、信頼を得て納得して医療を受けられるようにする教育や役割を役所内部にもしっかり義務付けようよ、
    さらに、かかる費用は知恵をしぼってやりくりしようよって提案したいです。
    市民の役所なのだから、私たちがそんな要望したって良いわけですよね。浜松でも市長宛に意見を言える窓口はありますか?
    税金や生活保護の観点からどうだとか、
    ホームレス本人の意思ってどうなのか(好きでやってるor仕方なくやってるor実は働きたい等等)調査したり検討したりしなければいけないことはいろいろあると思うけど
    今回の出来事で関心を持った方が、どうか関心を持ち続け、冷静に声を挙げて、少しずつでも改善していけたらと思います。
    いずれは救済の範囲を広げていきたいと、私は考えます。(シルバーパトロールみたいなのはわりに実現可能では)
    あと太郎君の掃除の話はもっともなことです。
    誰かもサボっているからじぶんもOK!は常々否定しています。
    ただ太郎君に対し「あいつは性格も悪いし」といった付け加えも否定です。
    組織に逆らえない、ある意味では弱い人だったかもしれないけれど、そこを「人でなし」とは責めたくない。
    nomadさん、開くのがこわいか、あきれてるかかな(笑)と思いますが、最後はnomadさんで〆ていただきたいです。本当に長々とごめんなさい、そしてありがとうございました(今後自重しますネ)

  56. >> RKさん、komekomeさん、だいくまさん、サルガッソーさん、みなさん
    コメントありがとうございます。
    僕のコメントが遅くなったのは、この問題はしっかり考えなくてはならないと思ったからで、他に大きな理由はありません。(おととい、お酒を飲んだ後電車を乗り過ごしてしまい戸塚のファミレスで一泊して結局会社を休んだというアクシデントはありましたが)
    僕も世間に向かって物申していますので、自分の意見と違うものが出てくるのは許容すべきです。当初思っていたよりもずっと広まってしまったのは驚きましたが、たとえ炎上したにせよ、それは僕が責任を負うべきでしょう。
    ですからブログジャックだとかお気になさらず結構です。
    さて、だいくまさんの「市を擁護するのは自分が何もしないことへのエクスキューズである」という指摘は、正直こたえました。
    僕は確かに「悪者に仕立てて叩くだけの鈍感な人間」を想定して、これを批判しました。
    僕は巧妙に自分を誤魔化していたようです。
    しかし、結果的に、この論議を通じて僕は得るところが多かったと考えています。
    物事を多面的に見ることが出来ましたし、僕が考えているような「鈍感な人間」がいたとしたら、それをけん制することができたと思いますので。
    その上で、ですが
    僕は浜松市の対応では出来る限りの処置をした、と考えていましたが、もしだいくまさんの考えているような状況であったとしたら、たいへん恐ろしいことです。
    > 救急車からの受け入れを拒否すれば、非難の的になる。
    > かといって、中に入れてしまえば、それが前例となっ
    > て、役所がホームレスの避難所になってしまうし、通
    > 常業務に差し障る。
    > そんな調子でどんどんホームレスを運び込まれて、全
    > 員に食事と寝るところを供給するのは無理だろう。
    こうした合理的な判断で浜松市がホームレスを救護するのを放棄したとすれば、これは行政としての福祉サービスが破綻していることを意味します。
    浜松医療センターの取りっぱぐれによる赤字の件から想像すると、税収と人材と予算がすでに限界にきていて、サービスを提供できる状況ではないのではないかと思えます。
    だいくまさんはそのような状況であってもホームレスを受け入れるべきだというご意見でしょうか。
    僕にはとても困難な選択に思えるのですが。

  57. 意見を尋ねられたので、お言葉に甘えて少しだけ(大量に)書きます。
    nomadさんは、「罪なき者まづ石を擲て」の言を聖書から引きましたが、私は、「百匹の羊を有てる人あらんに、若しその一匹まよはば、九十九匹を山に遺しおき、往きて迷へるものを尋ねぬか。もし之を見出さば、迷はぬ九十九匹に勝りて此の一匹を喜ばん。」の一句を引きたいと思います。
    一人のホームレスだけを救うのは、公平なサービスではないでしょう。特別扱いかもしれません。
    しかし、人間は誰しもが特別扱いをされて良い権利があるのではないかと思います。
    アメリカの兵士は一人の捕虜を救う為には、十人が死ぬ作戦でも行うといいます。
    それが正しいかは分かりませんが、日本の拉致問題などでの外交態度を見るに、国益や大義の為に犠牲となったり、踏みにじられて良い命も、それを正当化する理もないとも思います。
    現実問題として、それが前例となって同じような事態が起こって、それを全部引受けるのは無理でしょう。
    しかし、まだ起こっていない未来の問題を理由に、現実に目の前で起こっている問題を犠牲にするという事は、人間の人間たるゆえんである何かを裏切る行為だと思います。
    もし、赤子のころのヒトラーが溺れていたとして、現代のユダヤ人がそれをタイムスリップして立合っていたとしたら、助けたでしょうか?
    私は、助けてほしいと思います。これは、そうする「べき」だ、という金科玉条ではなく、人間という存在に対しての願い、祈りです。
    税収と人材と予算は、地方自治体にかかわらず、国全体として破綻していると思います。
    ホームレスどころか、年金や介護保険もいつまで機能するか分かりません。
    現実的にそれをどうすれば良いという、明快な解決策も私には分かりません。
    しかし、そういった逆境の時に友愛の手を差し伸べられる民族であったからこそ、度重なる大地震や戦後の焼跡から復興できたのではなかったかと思います。
    批判しておきながら、自分も実の無い校長先生のような話しか出来ず、申し訳ありません。
    一つ、言い添えるなら、警察官や消防官が子供のころ、ヒーローだったように、公務員の人には、安定や給金より、まず弱き人の盾である誇りを持ってもらいたいという事です。そして、そういう職員がいる役所を誰もが誇りに思える郷土があるなら、こうした事件も未然に防げるのではないかと思います。度重なる長文、失礼しました。

  58. 尋ねられていませんが(笑)女性の意見としてひとこと・・・
    人材については、元気なシルバー世代や、子育てに一段落した主婦層で、働きたいけど働き口がないという人は相当いますよ。さらにホームレスの中でも教育次第で有能な働きができる方はいると思っています。
    弱き人の盾である誇りと必要な技術を習得できる教育を業務の一つとして行い、
    それを生かす場・機会を与えて労働人口を増やせば、今より世の中に活気が出ることは言えるんじゃないでしょうか。
    私は月に10日程度出社の在宅ワーカーといったスタイルで仕事をしていますが、
    フルタイム勤務は子どもとの兼ね合いで避けたいと言う方がすごく多いです。
    (市内での採用試験に主婦が400人来たり)
    保育所不足という問題ではなく、子供は出来る限り自分で見て、限られた時間働きたい方々です。
    そうした条件に合うような勤務形態で「福祉」の仕事口を提供できれば(もちろん質の確保をした上で)。
    今は困難で無理なことでも、気付いたからには準備できることはあるのでは。
    とりあえず私はこちらの自治体で、浜松の件を引き合いに出して「どんな対処になるのか、備えがあるのか」など質問してみようと思います。もっといろいろな案を既に持っているかもしれないし。
    いろいろ勉強させていただきました。忘れず関心を持ちつづけていきますね。エントリの最後3行、確かに届きましたよ。

  59. >あなたは今までホームレスを見過ごしたことはありますか?
    >そのホームレスが死んでいないとどうやって確認しましたか?と聞いているのです。
    >もし気づかなかったのなら立場は同じだと思うのですが。
    「4日間何も食べてない」
    唯でさえ体力の低い高齢者が丸4日間も食事をせず、寒い中凍えていた訳だ。
    市役所に救急車で運ばれて来たって事を目にして、その悲惨な事実は職員にもハッキリと伝わった筈。
    にも関わらず、時間のかかるレトルトをお湯も入れずに手渡すその神経。
    そんな状態で未調理の乾燥米だけ渡されても、どうにか出来る訳がない。
    普通の常識を持ち合わせていれば、経口摂取出来るのかも分からない状況なら、救急車呼んで病院で栄養剤を点滴して貰うのが一番と判断するだろ。
    道に座ってる浮浪者の前を通り過ぎるのとは全く状況が違う。
    少しは考えてからレスしてくれ。

  60. なぜか かきこめません
    日本人はいつもと違うことに
    よわいんですよ。
    アドリブがきかない 当惑する
    ようするに平和ボケなんですよ。
    東南アジアなら こういう人たちは誰かにねだって飯くわしてもらいますからね 生きている へたすると
    酒代までねだる。
    みんなで小さな自分をまもっていて
    自分の親がそうでも みんなで当惑しているのが今の日本人です。
    友人がホームレスの自立支援NPOやって自分が生活していますよ。
    スーモールビジネスになってるようです。

  61. >周回遅れ
    nomadさんは上記のように都合の悪い意見にはきちんとレスされないのですか?
    話を大きくしてますが、結局は@さんの意見のように4日間食べてない人に乾燥米を与えたという気の利かない職員ということだけのような気がします。
    nomadさんはなにかしらの関係者の方に思えてきますね。

  62. 「周回遅れ」と的確な表現できちんとレスしていると思いますけど。
    今までの書き込みを全部読んで書き込みをしている
    と思えない内容ですし。

  63.  ↑
    ま、そういうことです。
    代わりに返事をしてくれてありがとう>pipi
    少し丁寧に返事しすぎと仲間内では言われていた!のに、さらに輪をかけて自分の不誠実さをさらすとはどんなマゾ。
    これよりももっと丁寧に回答しようとすると、僕の心情的にたいへん汚い言い回しを使わざるを得ず、この索敵なblogの品位を落としてしまってはいけませんのでー

  64. 数年前の、人さまのエントリーにコメント入れるのもなあ、、、とは思いましたが、自分のブログ記事を書くにあたって検索中、たまたま、こちらを拝読させていただき、遅れて知った、くだんの事件については、かねて、自分自身の体験から、ごく素朴な疑問を感じておりましたので、少し書かせていただくことにしました。

    さて、当時、くだんの出来事を報じた記事によりますと、

    ~運ばれて1時間後、野宿者の支援団体のメンバーが偶然通りかかった。近寄って女性の体に触れ、呼び掛けたが、目を見開いたままほとんど無反応だったという。職員に119番通報を依頼したが、手遅れだった。メンバーは職員に頼まれ、救急搬送に付き添った。
    「職員が路上の女性を囲み、見下ろす異様な光景でした」とメンバーは振り返る。「保健師もいたのに私が来るまで誰も体に触れて容体を調べなかった。建物内に入れたり、せめて路上に毛布を敷く配慮もないのでしょうか」。女性に近寄った時、非常食は未開封のまま胸の上に置かれていたという。~

    こういうことでしたね。
    私個人は、まずは、救急隊員の初期の判断に疑問を感じます。
    私自身、若い頃に、「救急車から自分で歩いて降りてきて、話もでき、」
    これに近い状態のなかを、救急患者として診察されたところ分かったのが、実は、喫緊に、命に危険が迫っていたということだったのです。

    また、別のとき、自分でも実際に、数日間にわたって、絶食ではないですが、極度の食事制限を実行したおりには、はっきりと、身の危険を自覚しました。
    非常に苦しいからといって、ただ横になって伏していることすら困難でした。

    そもそも、絶食状態であった者に、いきなり固形物を与えていいものなのかという疑問が、公務員云々以前に、そのへんの一般人としても、普通に起きてきます。

    ところで、2012年5月現在、大阪では、橋下市長が、市職員の入れ墨を、大きく問題に挙げていることが、報道を賑わせています。

    だいくまさんと おっしゃるかたの御意見は、全体に、私にも、よく理解できるように思われましたが、ただ、

    ~そもそも税金とか福祉の成り立ちって、「俺たちは働くだけで手いっぱいだけど、働いて稼いだ分、税金を払うよ。その金を失業保険や生活保護や、介護保険や福祉活動にあてて、公務員の人は、俺たちの代わりに、弱い人間が泣かないですむ良い国を作ってくれよ」って話ではないのかと思います。~

    私としては、「俺たちの代わりに」ではなくて、正確には、自分自身が、何かの事情から、「弱者」の立場となったとき、ひどく泣かなくて済むように、と考えてきたと思います。
    そう考えれば、けっしてラクではない自分の労働によって得た、乏しい報酬のなかから、苦しくも納めた税を、いま、弱者として、その恩恵を受けているはずの人たちのことを不快に思う気にはなりませんでした。
    「あすは、わが身」ということもありますものね。

    けっこう長文になってしまいました。通りすがりの分際で、失礼いたしました。
     

  65. 通りすがり様。
    すでにあなたの疑問については繰り返し批判され、議論されている事項です。

    「救急隊員の初期の判断」に対する批判を切り口にするのは単純に過ぎます。

  66. もう、見ておられないかもと思っていたのですが、お返事いただいておりまして、拝見しました。
     
    >すでにあなたの疑問については繰り返し批判され、議論されている事項です。
    >「救急隊員の初期の判断」に対する批判を切り口にするのは単純に過ぎます。
     

    救急隊員というのも、公務員資格だったですかね。
     
    私の「素朴な」疑問以外の点についても、多くの人の批判を繰り返し受けているわけです。
    そして、私は、「まずは」と申し上げました。
     
    ものごとって、最初期の判断しだいでは、ボタンの掛け違え的結果を齎すものではないかと思いますので。
     

  67. このコメント群を通してご覧になった上で新しい切り口で問題を提起したいのであれば、端的にお願いします。
    通りすがりの分際で思いついたことを口走りたいだけならツイッターや2ちゃんねるなどふさわしい媒体へどうぞ。

  68. >僕の親父は浜松市の職員だった。
    >同級生にも友人にも浜松市の職員がいる。

    要はコレに尽きるんでしょうね。アナタは

  69. ↑不誠実を通り越してクルクルパーとしか言いようが無い
    今すぐ使ってない脳みそブタの餌にでもした方が社会のためだなおい

  70. ピンバック: 「生活保護問題」一番の問題は不正受給なのか

  71. ピンバック: 「生活保護問題」一番の問題は不正受給なのか

  72. 浜松市に住民登録の有無の確認などできない。しかしこの地下道のホームレスの人たちは、浜松市の管轄敷地内ででホームレスを送っているのだから、当然のことながら浜松市にホームレス問題を解決する責任がある。民主主義政治を行う国の行政とというのは、そういうものである。

  73. 誰一人としてせめて暖かいお茶ぐらい飲ませてあげようかっていう人がいないのが悲しいねえ、傍観してないで手を差し伸べてあげなさいよ福祉課の人たち、人の心をなくしたらおしまいです。

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