47歳になったわけですが

皆さんわざわざお越しいただき、俺のblogのような世迷いごとにお付き合いいただきありがとうございます。
いやー、ここんとこねえ、いろいろ思っちゃうんですよ。
俺ももう50の声を聞こうかというオッサンですわ。
世間様で言えばロマンスグレーですよ。中年紳士ですよ。老眼鏡が似合うダンディーですよ。
それが「変態という名の紳士ですがね」とか平気なノリの大人げなさです。
それでいいのか。日本男児として。
バイクを浜名湖に落としましたうははーい
とか言ってていいのか。
いやねえ。
実は、このblog、会社のヤツも見てたりするわけです。
合気道の仲間もチラ見してたりするわけです。
そういう中でね、俺はこのblogにおいてどのような表現活動をしていくべきなのか。
いろいろとネタはある。料理の方法も薄々わかってる。
俺が書きたいことは持ってるんですよ。


でもね、それを書くことによって、読んだ側に励起されるコンテキストと俺の意図とが必ずしも共有されるとは限らない。
以前、俺をblogに誘った友人のこばへんが、それまで書いていた小説について誤解されると嘆いたことがありましたんですよ。
俺はその時「んなもん、一度世間に出しちまったものは受け取った側の責任なんだから気にスンナ」とかなんとか言ったような気がします。
しかし、今になってこばへんのキモチがわかりますね。
自分が誤解されるというよりも、相手の理解する視点をコントロールできないことに、とまどいを感じるんですよ。もう少し強く言えば恐怖と言ってもいいかもしれない。
たとえば、俺は今、合気道の稽古で頚椎がズレたらしくって右腕がしびれるんです。
そういう話はネタになる。それ、書きたい。
でも、書いたりしたら読んだ側はどんなふうに考えるでしょうね。
「合気道は危険! しぬかも」
「これみよがしにケガ自慢をしてる!」
「勇ましいコト書いて自分を大きく見せようとしてる!」
いや、それだけならまだしも「そのケガって、俺があの時かけた技でやっちゃったの?」ってことだって出てくる。
いやまあ、そりゃあ武術なことだとかケガ自慢だとか偉ぶりたいキモチが全然ないかってーとそうでもないわけなんだけども、ただそう単純化されちゃうのも困るわけだ。
でね、じゃあ、そういう誤解を一切排除すべく、十分に吟味され、丁寧に設計された文章を書くべき、っつーのも萎えるわけ。
俺はネタとしておもしろいと思うから書くんであって、正確さだとかを求めていないの。
あえてミスリードさせるようなことも書くこともあるし、読んだ誰かがこっちが思ってもいないような反応をしたりするから、俺もおもしろいってことだってあるし。
でも、俺がそうやって書いたことが一人歩きしていったらどうなるの? ってことはある。
「偉そうなコト言ってるヤツがいる雄神会ってのをお手並み拝見」みたいになって変な人が来たりしても他の人たちに迷惑掛けるし。
合気道の話だって、俺なんかはてんでダメダメのヘタレのオッサンで技の解説なんておこがましくって口走っていいレベルじゃない。どころか強いとか弱いとか言うことさえ憚られる話なわけだよ。俺なんか裾野の底辺の田んぼのタニシくらいのレベル。
それが「ケガして大変ですね」とか「がんばってますね」とか言われたらもう身をよじって土下座してごめんなさい口走ってゴメンナサイってしたくなる。ほんとはケガなんかしてないんですぅ。ブログに書いてるのは全部ウソなんですぅ。もうこれからはハナクソほじってたら鼻血が出たとかそういうことだけ書くことにしますぅ。
だからって、逆に見透かされて「てんでダメダメのヘタレのオッサンで裾野の底辺の田んぼのザリガニくらいのレベルくらいのくせに何を勘違いしてモノ申しておるのか」って見られてもつらいしさあ。
まあ、そうこうしているうちにがんじがらめになっちゃってね。
なかなか書けなくなっちゃった。
ネットで痛い人を見るたびに「ああコレ俺のことだわ」みたいに内省的になっちゃったのな。
で、最近、クローズドな友達の掲示板で「ケガしたけどそういうことはなかなか書けないんだよなあ」って愚痴ったのよ。
したら「まあそりゃそうですね、僕もそういうことは書きません」って返事が来た。
そうだよなあ。それが当然の反応だよなあ。
俺はその返事を何度か繰り返し読んだよ。
なんかさあ、そういう大人としての振る舞いって、俺がとるべきことなのかな、って思った。
世知を弁えた大人として振舞うなら、そもそもブログなんて書く必要はないんだ。
それどころか合気道なんてする必要さえない。
世間にモノを申さない方が世の中は渡りやすいし、腕っ節よりも頼りになるものは世知とお金だ。
   でも、俺はそれじゃイヤなんだ
俺よりもモノのわかっている人はいる。
俺よりもデキる人はいる。
多分、俺が書くものは不正確でデキが悪い。
それでもね。
この不正確さとデキの悪さを。
おまいらに届けたい。
そして笑え。俺のバカさを。俺のあがきを。俺のみっともなさを。
それが俺の書く理由かもね。
なのでいろいろとご迷惑をおかけしますが、話半分、っていうか全部ウソってことで、ひとつよろしくおながいします。

10 thoughts on “47歳になったわけですが

  1. 先輩、お誕生日おめっとさんです!
    確かにアニキがいうようにブログってーのはまぁ難しいもんですわな?。
    オレなんか家族もいないし一人暮らしだし、体中持病だらけで何が発端で死んじゃうかわかんないから、たかだか風邪ひいたぐらいでも関係者に周知させる意味でっつか「連絡がなかったら探してね」ぐらいな気持ちで書いちゃってますけどね(笑)

  2. blogってのは、真っ直ぐ地下に通じている顔いっぱいの円筒形の穴で、そこにblog主が何か喋ったり叫んだり騒いだり、ぶつぶつ小声で愚痴ったりしているわけで、穴の底から何か返答らしきものが聞こえてくる限りににおいては、
    >自分が誤解されるというよりも、相手の理解する視点をコントロー
    >ルできないことに、とまどいを感じるんですよ。
    ってなことは、そもそもblogごときに求められているもんじゃない気がします。
    だってblogってよくも悪くも個人の垂れ流しであって、そもそもそれが何かの意図された全体の一部でもないわけで、理解とか誤解とかコントロールとかがどうのというものではないでしょう。
    だって、土管の穴に向かって何か叫んでも一向に返答が来ないことなんてザラで、放置されているblogなんて山のようにあるし、コミュケーションの道具として成立しているものなんて少ないと思います。
    だもんで、結局、個人の垂れ流しをしていて、これだけコメントは付くわ、いろいろ読んでいる人はいるわ、と事実を鑑みれば、そんなお馬鹿さんなのまd兄が好きな人がたくさんいるわけで、それだけで今までの書き方がイケナイわけないでしょ。
    それ以上を求めるのなら、そりゃーblogでじゃなく、違う表現媒体を使うしかないでしょ。

  3. うわwww
    ずいぶん放置だったのに書いたその日にコメントあるなんて
    ありがとう
    >> Kassy
    >> Jinnki
    コメントしてくれたことに関して、またちょっと思ったことがあるんだが、長くなりそうなんでエントリに起こすわ

  4. もう年もとりたくない年齢ですよ。
    50超えると もうすぐ六十ですねー
    この間まで 十五歳だったような気がします。

  5. 祝!! 誕生日?
    最近の週末の日課としている「CB400SB Revo で浜名湖1周」
    にて、亡きハヤブサTurbo の眠っている地を通りかかる時は、
    手を合わせてお祈りして走ってます(^^;

  6. 遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。m(_ _)m
    > 自分が誤解されるというよりも、相手の理解する視点をコントロールできないことに、とまどいを感じるんですよ。
    >
    完全にはコントロールできるわけはありません。
    人格が違うし、そうであれば、警察いりませんから。(当たり前のことで、そういうことをおっしゃっているわけではないですよね(^^;。)
    ただ、よくわかりませんが、お互いに配慮できる部分であるとか、コメントする際のお作法(礼儀)というものがあるだろうし、
    例えば、どこでそれを行うのか、自分の庭か、相手の庭か、第三者の庭か、だけでも違うのだと思います。
    自分の庭で行ってコントロールできなかったから、間違いない!!(笑)
    いずれにせよ、例の件は、まだ、まとまっていません…。(´・ω・`)

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