知性を超えて

「わかりやすい」作品は、しばしばくだらなくなってしまう。
作り手の作戦が透けて見える作品なんてバカみたいだ。

さおのあたま:オヤジアート断罪
知性丸出しの作品を、称揚するのはオヤジのアートだ。

そう!その通り。
僕は物語に起承転結なんていらないと思うし、謎解きなんて唾棄すべきだと思う。
ところで、僕は出汁さえいらないと思うな。料理でさえなくていいと思う。ひどくまずくたって構わない。
ソレはそういうものをそのまま味わうべきなのだ。そういうモンだ、と言いながら食べればいいんだ。
多数の同意は得られないだろうけれど、アートは同意を目的にしているのかな?僕は違うと思うんだな。

1 thought on “知性を超えて

  1. TBありがとうございます♪
    出汁問題は難しいですね。
    生のものをそのまま出しているつもりでも、
    形にする段階で、やはりどこかに操作は
    入ってしまう気がします。
    小林秀雄が「自己主張なんて要らないんだ」
    と言ったのはその通りだと思うのだけど、
    文学なんかの場合は、何度も何度も書き直さないと
    「自分臭」が消えてくれない。
    不思議なもんです。

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