「わかりやすい」作品は、しばしばくだらなくなってしまう。
作り手の作戦が透けて見える作品なんてバカみたいだ。
さおのあたま:オヤジアート断罪
知性丸出しの作品を、称揚するのはオヤジのアートだ。
そう!その通り。
僕は物語に起承転結なんていらないと思うし、謎解きなんて唾棄すべきだと思う。
ところで、僕は出汁さえいらないと思うな。料理でさえなくていいと思う。ひどくまずくたって構わない。
ソレはそういうものをそのまま味わうべきなのだ。そういうモンだ、と言いながら食べればいいんだ。
多数の同意は得られないだろうけれど、アートは同意を目的にしているのかな?僕は違うと思うんだな。
TBありがとうございます♪
出汁問題は難しいですね。
生のものをそのまま出しているつもりでも、
形にする段階で、やはりどこかに操作は
入ってしまう気がします。
小林秀雄が「自己主張なんて要らないんだ」
と言ったのはその通りだと思うのだけど、
文学なんかの場合は、何度も何度も書き直さないと
「自分臭」が消えてくれない。
不思議なもんです。