またいいわけ

新しいエントリが書けていませんが。
すまんのうすまんのう。って誰にとも無く謝ってみる。
自分のためのblogのはずなのに、何か義務感が。
ここんとこ年度末の忙しさのせいか、それともこころのポテンシャルの低下か、たいへんに疲れております。
この山を越えたら…と思いつつ、そういや今までいくつも越えたけれど、やっぱり荒涼とした丘陵が続くばかりだったよなあと鬱。
本日、合気道の練習にもいけなかったし。すまんかったのう。>佐山さん
強者・弱者の論理 については、当初思っていたのと全然違う方向に考えが変わってしまった。
自信たっぷりの話だったのが、手探りで確かめながら話を進めなくてはならない。
考えは決まっているものの、それを話としてどうまとめるのか、が難しい…
この山を越えたら、なんとかまとめたいと思うけど。
今日のところはゆっくり風呂に入って、寝ます。
きっと春になって桜を見れば。
きっといいこともあると思います。

強者の論理 弱者の論理 -1-

「強者の論理 弱者の論理」をやるぜ! むーふー!
と息巻いてから、しばらく経ちましたが、すんません。かえってがんじがらめになって考えがまとまりません。
というのも、本当は「ネットを知ってる俺は強者! しかしネットの中には弱者もいる。だから……」
というような筋書きを当初は考えていたのですが、「強者 弱者」のエントリ宣言をしたとたん、いろんなことが立て続けに起こり、自分の考えを改めなくてはならなくなったのでした。
ただ、世界に強者がいて弱者がいて、その立場によって主張が変わる、ってことには変わりは無いんです。
で、じゃあ、今考えている強者の論理、弱者の論理ってなんなんだ、ってことを少しづつ、自分の整理をしながらエントリしていこうと思っています。
今、僕は自分が弱者だと思っています……

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言論のリスクと名前

次は「強者の論理 弱者の論理」だー!と予告していましたが、マクラを振っているうちに話が膨らんできました。最近のできごとをきっかけに、まずは弱者とは誰か、何なのかを書いてみます。
僕らは平和の時代に生まれ、民主主義だとか資本主義だとか自由主義だとか、なんだかそんな風に呼ばれている世界に生きていて、ネットというインフラと、webサイトやblogなんていうツールを持ち、ますます世間に自分の言葉を伝えることが容易になってきています。
言葉の重さが変わっていないのだから、ますます僕らは言葉をネットワークに乗せ、人に届けることについて考えなくちゃいけなくなっているようです。
このエントリを書いている最中に「ガ島通信」 のblog主が会社をやめました。
ガ島通信:さよなら新聞 (2005年03月04日)
けっこうショックです。
この人、地方新聞の記者なんですけど、現代の文脈の中でのマスメディアの役割だとか、あるニュースをどんなふうに報道すべきだとか、そういうったことを正直に真摯に誠実に語り続けてきた人なんです。
僕も最近になってガ島通信を知り、楽しみにしていたblogでした。彼の立場を考えるとハラハラしていた部分もあったのですが、今回、会社をやめてしまったとの報を読み、やっぱり、という思いも持っています。
彼みたいに真摯に、誠実に、そして真正面から、自分の仕事とそれを取り巻く環境について語るということは、それだけリスクがあるということなんでしょうか。
彼みたいに自らが求める信条をまっとうするためには、生活の基盤である職までも賭けなくてはならないのでしょうか。
……

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うれしいつながり

最近、NWネタが続いております。
ほんで、「次回は『強者の論理 弱者の論理』だー」とか予告までしとりますよ。
バカblogである僕のサイトにあるまじき状況ですだよ。バイクネタとかバカネタをもっと増やしたいと思ってますが…
まあ、予告した手前、いろいろ参考になるように勢い込んでいろんなサイトの様子を見て回ってるんですけど、ますますなんか言いたいこと書きたいこと、新しい知見なんかを仕入れてしまいまして、なかなかまとまりませんです。
もうちょっと自分のオツムを冷やして整理する必要があります。
いろんなサイトを拝見しながら、興味深いサイトのあっちこっちでトラバったりコメント書いたりしているのですが、おかげさまで皆さん、こちらの方にも寄っていただいてうれしく思います。
アリガトー。
で、ですな。もっと嬉しく楽しい場面を見つけましてね。
僕のblog経由で来ました、ってトラバつながりの相手先のblogへコメントつけてる方が。
うわぁあ。 4)トラックバックをかけられると、脳内のどこかがフワッとなる。と「blog依存度チェック」でkobaが言っていますが、なんかそれ以上のインパクトを僕は感じましたよう。
やっぱりね、何度も書くけど、blogっていうのは逐次記録型ネットワーク分散データベースですよ。グリッドコンピューティングですよ。
コメントも含めてコンテンツ。トラックバックも含めてblogネットワークシステムですよ。
今、いろんなblogで問題が出てきて、匿名の問題、トラックバックとコメント、リテラシーの問題、情報の価値、なんかをいろいろ考えさせられています。
あんまりいっぺんにいろいろ考えなくちゃいけないんで、ちっともまとまらないんだけど。
でも、こういうネットワークを構成することができる、というのはとても面白いなあと思うよう。
blogのシステム、blogのツールとしての機能にはそれほど興味はないし、実のところそれほどcoolなものではないと思っているけど、blogの運用の方法っていうのはとってもcoolだと思う。
なんだか、今日はとても感激したので、まずはこのことだけでもエントリしようと思いました。
えー。「杖(じょう)はおもしろい」とか「蒔絵進まず」とかいうエントリもしたいと思ってますがー
そのうち。そのうち。

情報の価値 -Ver.0.7-

前回のエントリ、何を言いたいのかよくわからない、というご指摘がありました。
すまんのう。備忘録で自分勝手なメモを舞い上がって書き込んだもんでのう。
情報リテラシーっていう言葉は20年も前の臨教審で使われた使い古された言葉だ、とも。
ああーううー。すまんのう。備忘録で自分勝手なメモを舞い上がって書き込んだもんでのう。
というわけで、もしかすると、ただ「リテラシー」って言ってしまった方がよさげな感じもする。多分そっちの方が本来の意味に近いかも。
誰か俺の代わりに分かりやすくよさげなテクニカルタームの創造をしちくり。
前回、何を言いたかったかといいますとですな。
・新聞、ラジオ、テレビの情報を鵜呑みにするな。それはメディアの商売/イデオロギーのために偏向した情報だからだ。
・しかしそもそも一次情報を収集するためにはコストが必要だ。
・そのコストを負担するには商売をやってて資本を持っている企業:既存のメディアでないとやっていけない。
・商売を抜きにして根性で情報を得る行為はイデオロギーである。(飛躍?)
・イデオロギーからも商売からも離れて、ただ情報を求めるのは難しい… 今考え中。
・既存のメディアの経済システムのまま、より良い情報を求めるためには受け手の側が賢くなり、判断を的確にできるようになる必要がある。
・しかし、受け手の側の教育・啓蒙こそ、一番コストがかかる代物なんだ… 今考え中。
 ということになります。
 既存のメディアを変えるのも簡単じゃないし、受け手の方を変えるのもなおさら簡単じゃない、ってことですね。
「NHK、朝日!お前らみんなダメなんだよ!」って言うのは簡単だけど、実運用を考えると代案を提示するのが難しいってことだねえ。
「根性とはイデオロギーである」というのは十分な説明がまだできないけれど、でもなんかこれって多分合ってるぞという電波を受信するぞレティクル座からっ
とりあえずこじつけ<ぉぃ は後にまわして進める。暇と時間のある方は俺の代わりに考えておいてクレ
ここから新しい話。
……

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