前回のエントリ、何を言いたいのかよくわからない、というご指摘がありました。
すまんのう。備忘録で自分勝手なメモを舞い上がって書き込んだもんでのう。
情報リテラシーっていう言葉は20年も前の臨教審で使われた使い古された言葉だ、とも。
ああーううー。すまんのう。備忘録で自分勝手なメモを舞い上がって書き込んだもんでのう。
というわけで、もしかすると、ただ「リテラシー」って言ってしまった方がよさげな感じもする。多分そっちの方が本来の意味に近いかも。
誰か俺の代わりに分かりやすくよさげなテクニカルタームの創造をしちくり。
前回、何を言いたかったかといいますとですな。
・新聞、ラジオ、テレビの情報を鵜呑みにするな。それはメディアの商売/イデオロギーのために偏向した情報だからだ。
・しかしそもそも一次情報を収集するためにはコストが必要だ。
・そのコストを負担するには商売をやってて資本を持っている企業:既存のメディアでないとやっていけない。
・商売を抜きにして根性で情報を得る行為はイデオロギーである。(飛躍?)
・イデオロギーからも商売からも離れて、ただ情報を求めるのは難しい… 今考え中。
・既存のメディアの経済システムのまま、より良い情報を求めるためには受け手の側が賢くなり、判断を的確にできるようになる必要がある。
・しかし、受け手の側の教育・啓蒙こそ、一番コストがかかる代物なんだ… 今考え中。
ということになります。
既存のメディアを変えるのも簡単じゃないし、受け手の方を変えるのもなおさら簡単じゃない、ってことですね。
「NHK、朝日!お前らみんなダメなんだよ!」って言うのは簡単だけど、実運用を考えると代案を提示するのが難しいってことだねえ。
「根性とはイデオロギーである」というのは十分な説明がまだできないけれど、でもなんかこれって多分合ってるぞという電波を受信するぞレティクル座からっ
とりあえずこじつけ<ぉぃ は後にまわして進める。暇と時間のある方は俺の代わりに考えておいてクレ
ここから新しい話。
……
情報の価値 -Ver.0.7-
14