古い日記

僕が22,3のころだから、もう20年も前の話…
ああ、そうだ、VF750Fを手に入れたばかりの頃だっけ。
そうか、もう20年もたつんだ。
ちょうどキャッチセールスが出始めのころ。
18,9から22,3のころって、社会的に世間知らずの一番バカで、それでいてそれなりにお金を持ち始める年頃だからなのか、こういう年代をターゲットにして教材だの絵だの旅行だのという「未来を予感させる商品」を売りつけられる。
ご多分に漏れず、僕のところへもそういう電話が頻繁にかかってきた。
もう、こんな手口は廃れちゃってるのかな。それともまだ有効なんだろうか。個人情報保護法とかあるから、簡単にはいかなくなってるんだろうけど、僕はすっかりオジサンになっちまってこういうのとは縁がなくなってるから実際のところはわからない。
大抵、お年頃の女の子が電話をかけてきて「会ってお話をしたいの」みたいに呼び出されるわけだ。
そして、もちろん僕は鼻の下を伸ばしてのこのこ出て行くわけだよ。
そして、大抵の場合…いや、全部の場合、か。がっかりしてすごすご帰ってくることになるわけなのだけれど。
そろそろキャッチセールスという商売の胡散臭さに気づき始めていたある日、またその電話はかかってきた。
警戒はしていたのだけど、なんだかチャーミングな声とそのトーンに誘われて、僕は懲りずに出かけていった。
鼻の下を伸ばした僕が勧められた「未来を予感させる商品」は、資料だった。
「あなたが勉強したり調べ物をしたりしたときに必要だと思う資料となる書籍を定額でお届けします」というサービスだった。
このサービスを「わずか1日たった1杯のコーヒー代と同じ値段で」提供してくれる…ってわけ。
今でこそインターネッツとやらが普及して調べ物をするのはだいぶ楽になったけれど、当時は「調べる」という作業さえ本屋や図書館に入り浸らなくてはできない仕事だったから、そういう調査資料サービスというのは、とても珍しく、その上、本が好きな僕にはなんだかとても得になりそうなサービスに思えた。
「ある飛行機について調べようと資料を請求したら、ダンボール箱一杯の資料が届いたんですって」とその女の子はニコニコして言った。
…あー。
そう。
それだけじゃなくて。
えー。まあ、それを案内してくれた女の子がとても可愛らしかったんだ。
僕はその商品を誉めた。
なかなかいい。今までいろんなものを勧められたけど、投資したのに見合うサービスって受けられなかった。でも、これは使えそうだ。
ああ、でも、僕はブルーカラーだから調査とか仕事では、やんないんだよね。
自分の趣味で使うには…いくら1日のコーヒー代だっていっても50万は難しいかな。バイク買っちゃったしね。
このバイクに憧れて大型免許とったんだ。難しかったよう。ナナハンだよ。
君はどこから来てるの? え?九州?
でさあ、ねえ、せっかくだから、ここじゃなくてさ、ファミレスかどっか行かない?ゆっくり。
んー、ダメ? へえ、会社の人に見張られてるんだ…
今、どんな会話をしたか思い起こしてみると、もうちょっとなんとかならんものかとも思うが、まあ、下心満載のノータリンのコゾウの会話なんで、この程度の何のふくらみも無い貧相な話しかできなくて…まず、まあ、情けないのだけども。
だからモテなかったのか。
他のキャッチセールスの会話と違って、その女の子…Kさんとはずいぶん打ち解けた話をしたと思う。キャッチの女の子は結局はビジネスライクで、口はうまいのだけど、本心は見せたりしなかった。
でもKさんは、まるでシロウトみたいな普通の女の子で、僕のつまらない冗談にケラケラ笑った。彼女はしまいには「あのTVに出てるコーラスの人いるでしょ。私の音楽の先生が言ってたけど、あの人ホモなんだって」なんてビジネスの話そっちのけでバカな話をしていた。
僕はそれとなく聞いてみた。
「君さあ、こんなこと言っちゃいけないかもしれないけど、こういう仕事ってけっこう大変じゃないの」
Kさんは、ちょっと顔を曇らせた。
「いろいろあるのよ…」
いろいろね。
いろいろかあ。
ノータリンの僕はそんな相槌しか打てなかったけれど、彼女が、そのビジネスの胡散臭さに気づいていることはわかった。
僕は彼女みたいなチャーミングな子が、どうして郷里を離れてこういう胡散臭い商売をせざるをえないのか、計り知れない事情を思って話題を変えた。
結局僕はそのサービスは買わなかったけど、Kさんという可愛い女の子のことはずっと覚えていた。
何ヶ月かしたある日、僕が出先から会社に戻ると、上司が僕を呼びとめた。
「今、Kさんって女の人から電話があったよ」
しばらく僕は誰のことかわからなかった。
あ… あのKさんか。
Kさんの苗字は僕の住んでいる地方では珍しかったから、心あたりのあるKさんと言えば彼女しかいない。
僕は彼女に名刺を渡していたから、職場に電話したんだろう。
「何て言ってました?」僕は聞いた。
「いや。何にも言って無かったよ。用事があればまたかけてくるんじゃない」
上司はちょっと変な顔をして続けた。
「何か泣いてたみたかったぞ」
「え? 電話番号とかは?」
「知らんよ」
結局Kさんはそれっきり電話をかけてこなかった。
だから、なぜKさんが泣いていたのかもわからなかった。