浦安の新成人の鼠踊りについて

朝日新聞のコラムでこんな表現があったという。
まあ何というか、日頃「公器」だの「社会の木鐸」などという大仰なことを言うメディアがする表現ではない。
下品
もし本当に戒める目的があったとしても、こんな酔っ払い親父の管巻きのような言質で相手が反省するわけがない。
ところで、いくつかのサイトを見て回ったところでは、指摘されていないようなので、書いておく。
なぜ浦安ではディズニーランドで成人式をするのか
東京ディズニーランドは浦安の主要産業なのである。
企業の誘致というのは、田舎町にとっては一大事業だ。
鈴鹿市がホンダ自動車のサーキットと工場誘致をしたときに「本田総一郎は町役場で出された一杯の粗茶でここに工場を作るのを決めた」というエピソードが伝説になっている。
浦安もディズニーランドの誘致には町の将来に関わる真剣な取り組みだったのだ。
「浦安 ディズニーランド 誘致」でググって見ればよい。当時、どんな状況で何が行われたかわかるだろう。
海と浦安
浦安の歴史に学ぶ
ディズニーをつくった町の物語
東京ディズニーリゾート関連書籍 1 – 舞浜狂
今回、僕は「ディズニー一族が候補地のひとつとして浦安を視察に来たとき、町民挙げてのプレゼンテーションに感激してここにディズニーランドを建設することを決定した」という不確かな記憶を頼りに検索した。
けれども、実際はそれ上にドラマチックな事業だった。
最貧困層の漁業部落。
江戸時代から続く自然災害地域。
近隣の工業化によって引き起こされた度重なる海洋汚染。
貧困からの脱出を賭けた再開発プラン。
環境破壊から決別しようとしての遊戯施設誘致。
土地開発会社との攻防。
ライバル誘致先の台頭。
いくつもいくつもいくつものハードルを乗り越えて、浦安という底辺の町が再生するための一大プロジェクトだったのだ。
その成功の証としてこれからの浦安を担う成人のための式を東京ディズニーランドで行われるのは必然なのだ。
現在の夢の遊戯施設が、先人の労苦の上に成り立っていることを知るにはこれ以上の場所はない。ディズニーランドは浦安の希望であり、理想であり、誇りなのだ。
もしディズニーランドがなければ、浦安は今でも都市に労働力を吸収されていたに違いない。成人式への参加率が70%という数値は、浦安では誇り以外の何者でもないだろう。
若者が浦安に留まり、浦安の町を支えていてくれるということだからだ。
最後に。
僕は東京ディズニーランドへは行ったことがない。行く気もしないし、今後も真っ平だ。
(そのせいで家族には非難されている)
ミッキーマウスもミッキーマウス法も嫌いだし、ウォルト・ディズニーなど恥知らずのパクリ屋で、労働組合つぶしに躍起になった自由の敵だと思っている。
ディズニーランドの誘致には、足の引っ張り合いもあっただろうし、やくざとの付き合いも、利権もあったんだろうとは思う。
けれど、今度、浦安の町に行った時には、ディズニーランドを見る目が変わるだろう。
僕の目に映るのは、取り残された町だった浦安の、自由と夢と希望のモニュメントだ。