かくも永き巫女の不在

音極道での「水伝批判:批判」について、いろんな方面から反応があったらしい。
僕からすると水伝関係のサイトも音極道も両方とも懇意にしているサイトだったので、とまどった。
僕も渦中にいるうちは気づかなかったが、いくつかのサイトの意見を見聞きするうち、わかったことがある。
田崎さんは、あの水伝批判文書を書く必要は無かった。
田崎さんは象牙の塔の遥か高いところに住む科学者だ。
科学者の仕事は、研究し、論文を書き、学会で発表する。以上。
下界の教養の無い、無知蒙昧な連中が、お粗末な戯言で迷うことなど、本来何の関係もない。
関係ないはずだった。
ところが、水伝が学校の道徳の授業として取り上げられ、子供たちが非科学的な考えで洗脳をされようとしているのを知り、自らあの文書を書かざるを得なくなったのだ。
そのままほっておいたら、自分のところに来る学生の質は落ちて行くだろうし、科学という分野がおろそかにされてしまうだろう、という危機感からだ。
本来は、あの文書は子供向けというよりも学校の先生にターゲットされているのかもしれない。
先生たちがあれを教材にできれば、水伝をきっかけにして、「科学的思考方法」について生徒に教えることもできるだろう。
ああした文書が「権威ある科学者の言葉」として公にされていれば、科学的素養の無い先生たちを教育することもできるだろうし、あやうい論を牽制することにもなるだろう。
しかし、J2さんは、そうした背景など知らなかった。
多分、「水からの伝言」も読んだことは無いだろう。(僕だってそんなバカバカしいのは読まない。と学会の報告だけ読めば十分だ)
科学者が十分な説明をせずに、権威で水伝を否定したと読み取ったのだと思う。
だから科学者が科学者らしく水伝を否定するには科学という装置を使って行なうべきだ、と指摘したのだ。
そうした手続きを踏まえず、一方的に否定したものを信じることは水伝を信じる人たちと、そう変わらないではないか、と言ったのだ。
J2さんと田崎さんのすれ違いは、こうした背景抜きでは語れないのではないか。
田崎さんの目的が違うのだから噛合うことはない。
それともう一つ。
……

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