ロック岩崎氏 死す

男の子は大抵飛行機が好きだ。
マニアとは言えないが、僕も人並みに飛行機が好きだ。
浜松に生まれ育った僕は、子供の頃は毎日のように航空自衛隊の訓練を見ていた。父親に飛行場まで離着陸訓練を見につれていってもらったり、そのころはまだ浜松にいたブルーインパルスがアクロバット飛行訓練をしているのを飽きもせず眺めていた。
僕は結婚して子供ができると、コゾウたちを連れて航空ショーに行った。
年に一度行なわれる浜松航空自衛隊の航空ショーは、家族そろって楽しめるイベントだ。
僕が子供の頃夢中になった、子供の科学の付録の紙飛行機を作るブースや、もちろん自衛隊にちなんだオモチャやおみやげもあるし、軽食の出店もある。自衛隊の給食車でおでんや豚汁を食べるのも楽しい。戦車や装甲車や対空砲をは勇ましいし、もちろんお目当ての飛行機のフライトも絶対見逃せない。
ショーが終わっても、皆なかなか帰ろうとしない。ショーの最後に、参加協力している米軍のパイロットが帰り際のサービスで派手な機動をかけたりするのを見逃すまいと狙っているからだ。
僕たちは航空ショーの季節を楽しみにしていた。
もう5年も前になる。初めて僕はロック岩崎のフライトを見た。
それまで名前だけは知っていたし、アクロバットがどんなことをするかは漠然とした知識は持っていた。ロック岩崎はその時もうスーパースターだった。
僕らはアクロバットが始まるのをわくわくして待っていた。
けれど、目の前で繰り広げられるショーは、次元が違っていた。僕らが期待していたものと、一桁も二桁も違っていた。
目の前を飛んでいるのは飛行機ではなかった。飛行機の格好をしたUFOだった。
斜めに傾いだまま飛んだり、垂直上昇したその格好のままエンジンを止めて降りてきたり、炊いたスモークが風に流れて機体を追い越して前に行ったり…それって機体が相対的に後ろに下がってるってことじゃないのか?
僕らは口をあんぐり開けて、興奮しながらそのショーを見ていた。
女房はいつもなら物好きな父ちゃんと子供の世話に付き合ってるという風情なのだが、その彼女さえも「素晴らしいショーだわ!」と感激していた。
僕らは、時々、この時のショーのことを思い出して「また航空ショーに行きたいね」と話した。
僕らにとって「ロック岩崎」は特別なヒーローだった。
…とても、とても残念です。
http://www.airock.co.jp/about/about.htm

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家族って何?-そにょ2-

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まだ見てもいないのに「誰も知らない」について考えさせられています。
いろんな人の映画評や、それに伴う現代の家族のあり方についての意見に釈然としない、喉に小骨がひっかかったような感じを持ってたんですけど。
でね、その喉に引っかかった小骨の正体が朧げながら見えたように感じましたよ。
僕が巡回している「ガン エボリューション」と「Kaoru’s Diary」のお二人のblogで。

adrift:■映画評「誰も知らない」 下
大人や恵まれた環境にいる人間から見たら悲惨と思える状況ですら、子供達は楽しみを見つけて生きていこうとする。そういったことを、演技や描写すべてをひっくるめた演出で見せようとしたのがこの作品だと思う。

そう。子供たちが「楽しみを見つけて生きて」いこうとすること、限られた環境の中で幸せを生み出そうというその努力こそ…
…僕は、決意をもって、やっぱりこれは悲惨な事件だったと言ってしまうべきだと思うんだ。
僕らは麻酔にかかったみたいに幸・不幸さえも相対化してしまって、家族の肖像を失ってしまっている。この事件を絶対的な不幸と言い切れなくなってしまったことに、僕たちの社会の不幸が現れているんじゃないんだろうか……

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家族って何?

映画「誰も知らない」はあっちこっちで評判だ。僕も見たい。
この映画が今の日本の社会の家族の姿のある側面を映しているというのは、きっとそうなんだろう。

カトラー:katolerのマーケティング言論:誰も知らない(Nobody Knows)の絶望そして希望
「母性」というものはひとつの幻想に過ぎないーという認識、それを「絶望」と言い換えてもよいのだが、そうした認識に立つ地点からしか、もう一歩も先に進めないところに私たちは来てしまったのではないか。

それはそうなんでしょうけれど。
「母性だけでは解決できない時代になってしまいましたね」と言うだけでは思考停止なんじゃないかなあ。
僕たちはそういう時代にあって、なぜそうなって、どうするべきなのかを語るべきなんじゃないかと思うよ……

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我々の冷たい幻想

とても愛し合っている夫婦が一緒に僧籍に入るという仏教説話がある。
彼らは修行を積み、やがて悟りを得たとき、夫が妻に「私は誰よりも自分を愛していることを知った」と語り、妻も夫に「我が夫よ、私も今それを知ったところだ」と微笑んだ、という話。

ぬる風呂:連作小説(7)『ソフトウェア』
少しだけ幸せだった。
玄関のドアを静かに開け、俺はそっと歩いた。誰かのためにそっと歩いたり、優しく物を置いたりするのは好きだ。俺は、下方に穴が開いていないかくまなく探した。うん、今日は大丈夫。

僕らが愛しているのはいつも自分の中に棲む幻に対してかもしれない。
尤も、全世界は脳で再構成された幻なのだけれど。
とても悲しいセックス。滑稽なセックス。幻想のセックス。
僕はこの小説が好きだな。胸が痛んで。
出口はバカバカしいほど近くにあるのに、それから目をそむけて自分を罰する男。

結婚記念日

ぬる風呂:飛ぶ夢は見ないが、島歌ばかり聴いている
お茶碗とか洗っていると、つい口ずさみ妻と2人でハモっている。

幸せってのは、バカみたいに口に出さないといけないね。
黙ってちゃいかんね。
なんでもそうかもしれんけど、口にださないと人には伝わらないし、自分でも気づかない。
6月7日は僕……

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スケベは悪いことです

前から思ってたけど、エッチなことってイケナイことだよね。
イケナイことをこっそりするから嬉しいんだよね。

俺汁 :スケベ文化はこうであれ!
東京に住んでいてずっと忘れていた大切な事を忘れていた。
  ……
僕はこのような閉鎖的文化こそスケベ文化にふさわしいと思うのだ。
スケベなんぞ檻で囲ってしまえ!

そうとも。檻のスキマからこっそりするのさ。
真昼間に愛撫もせずにいきなりつっこむようなのは楽しくもなんともない。
そんなの排泄だよ。(排泄でさえこっそりやるだろ?)
いいこと言うなぁー。
「東京に住んでいてずっと忘れていた大切な事を忘れていた。」
って、多分「東京に住んでいて…大切なことを思い出した。」てコトだと思うけど、それもアジだよねえ。

オブ・ジョイトイ運動

僕もジョー伊藤と名乗ることにしたよ。

ブサイコロジカル(BeautifulDesire)
井戸端ムーヴメント
どうでも良い事ですが、BLOGプロフィールの名前欄に「オブ・ジョイトイ」を加える運動が地味に発生しています。

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儀式

儀式とは演劇と見つけたり。
演劇だからこそ、人は役割を演じるのである。

タイトルつけない日があったっていい、というタイトル。
そのセレモニー全体が目指す、無言だけれど圧倒的ななにかに押し流されてしまうのだろう。……う?ん、それって直裁的ではないかもしれないが、間接的なマイコン(マインドコントロール)じゃん。

儀式とはまさしくマインドコントロール以外にありえない。
演劇がマインドコントロールであるからだ。
つまり演じることによって受け手の情緒を操作しようと言う行為そのものだからだ。
この場合、演じる者もまた観覧している側でもある。
もちろん、儀式であるからには宗教的側面が立ち現れることは言うまでも無い。
……

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わだつみ

ここ何日か、体とこころの具合が悪かった。
瞑想を始めて1年半になるけど、本当にこんな鬱な気分になったのは久しぶりだった。
何もかもやる気は起きないし、夜は眠れず、朝は起きれず、仕事ははかどらず、全てのことを明日へ明日へと引き伸ばし、ほとんどズル休みみたいにして会社を休んだ。
瞑想さえもする気を失った。
自分でもなぜかよくわからずに、わからないから余計にイライラしてますますイヤな気分になった。
今日気づいた。
ペットロスなんだ。
(ペットロスなんてずいぶん残酷な言い方だ。キューは僕らの家族だった)
……

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